農業の醍醐味.39回


続・タイを訪問して
NPO法人関東EM普及協会
理事長 天野紀宜

はじめに
 6月1日、幾つかの用件をかねて青森を訪問した。青森県は約60%の市町村が何らかの形でEMに関わり、行事等に対しては理解を得、後援や支援を頂いている。国土交通省青森工事事務所等の理解もいただいている。しかし、昨年度までは県庁の後援や支援を得ることは出来なかった。環境政策部が反対していたのだという。県庁は今年度から、EM活動に対して一部予算化をし、支援体制をはっきりさせた。このことは活動の大きな弾みとなっていた。これは、副知事(後に触れるが、企業組合縄文環境開発の理事長との繋がりがあったことから、EMによる河川の浄化活動を視察したこともあり、比嘉教授ともお会いし、今年5月には県の幹部職員とともに比嘉教授の講演会に参加し、県としての支援を約束している。)さんのご尽力があったが、県の姿勢が変わったのは何と言っても青森県下に広がったEM活用の実績、成果こそが今日を迎えることが出来たのだと思う。その中心的役割を果たしたのは、EM関係者であれば多くの人がご存じと思う木村将人さんである。今回取材させていただいて、バイタリティーがあり情熱あふれる活動や、活動の幅の広さ、いったん取り組んだことには徹底して最後まで取り組む姿勢、物事の本質、人の心を的確に捉えた上での活動であることにも感心させられた。
まず木村将人さんを紹介させていただく。

木村将人さんの紹介
 木村将人さんは中学校教諭時代の平成6年EMとの出会いがあった。すぐに学校教育の中でEMの活用を始めた。 授業やクラブ活動での取り組み。学校から地域に向かっての活動など、学校教育に関するEM活用のパイオニア的存在でも知られている。私も平成9年であったと思うが、当時の勤務先浪岡中学校を訪問し、授業の様子や、地域のボランティア活動を見学させていただき感動したことを覚えている。木村先生は、EM活動する前から大変忙しい方で、執筆活動に併せ、土曜、日曜日の多くは全国に講演行脚をしている。
企業組合縄文環境開発理事長と木村先生
 実践を通した教育論は勿論、当時勢いのあった日教組に対する反論や、日本の再生に対する持論の講演は次から次へと増えていった。 講演が忙しくなりすぎて平成13年には定年を2年残し退職したという。そのことにより、EM活動にも時間がとれるようになっている。講演会では、EMを知ってからは残りの10分ぐらいでEMの話をし、講演料はほとんどEMやEMに関する書籍を購入しボランティアに活用したという。

企業組合の発足
 平成6年EMと出会い、様々なボランティア活動をはじめ、平成13年に退職し、ボランティア活動にもいっそう熱が入り、平成14年6月8日、企業組合縄文環境開発を設立、(県の商工労働部に活動が認められたことにより、EMを活用しての企業組合では認可をもらうのに大変難しい中認可を受けた。)理事長、副理事長には当を得た人に受けて頂き、自分では専務理事として発足した。このことが今後の活動の大きなステップとなっている。
 紙面の関係上ボランティア時代と企業組合になってからの代表的な事例を紹介し、今回中学校3校の河川浄化の現場を取材させていただいたのでその報告をさせていただく。

県下のボランティア実践事例
 現在青森では、約70の市町村の内青森市をはじめ41の市町村でEMの活用が始まっている。最初に町を挙げて取り組んだのは板柳町で、EMによる町おこしを展開し、リンゴ、米、転作大豆の栽培、全小中学校での環境教育、プール清掃の取り組み等である。また、岩木川流域浄化大作戦の中核として周辺行政のリードもしている。
 木造町では、町と水利組合が予算化し、岩木川の浄化につとめている。多くの市町村の取り組みにより、岩木川河口周辺でハタハタの大量発生が起きているという。
 蟹田町の笹木町長は「EMサミット2000(沖縄)」にパネラーとして出席し、EMによる町おこしの発表をしている。その他弘前城のお堀、十和田湖、陸奥湾の浄化、湖沼や河川の浄化、農業(リンゴだけでも100ha越えるという)、学校教育等様々な活動を通して多くの成果を上げている。

企業組合縄文環境開発の取り組み
 企業組合としての取り組みの代表的な二つの事例を挙げてみたい。その一つは、陸奥湾に面した平内町の清水川地区環境工事である。主にホタテ業者4軒から流入するヘドロが人間の背丈ほど溜まった川500mの悪臭とヘドロの除去を240万円で請け負った。EMスペッシャル液を、強力な動力噴霧器で1回3t〜4tを週4〜5回ヘドロに注入した。1ヶ月で悪臭は勿論、ヘドロも消えてしまったという。ヘドロはEMスペッシャル液を注入すると浮いて大雨で流され、陸奥湾の浄化にも繋がったという。ボランティアではとてもここまでは出来ない、企業ならではの取り組みだと思う。
 もう一つは、ダイオキシンの取り組みである。産廃業者等の小型焼却炉での焼却は、燃焼温度が低いためダイオキシンの発生を招き、問題になったが、今は、解体焼却炉、汚染土壌が問題になっている。八戸市にある産廃業者の依頼を受け、EMスペッシャル液を活用し、JKK工法と名付け、焼却炉浄化作業に取り組んだ。東北ではトップクラスの分析会社の分析の結果驚くような結果が出ている。焼却炉内付着物、焼却炉周辺作業場、土壌、焼却灰いずれも顕著で、焼却灰では188235分の1に減少している。
 ボランティアで積み上げたノウハウを生かし、確実に結果が出ることを確信し、企業でJKK工法として請け負う環境浄化始めた。
 ゴルフ場、ホテル・旅館、個人の池の浄化工事。ホテル、中華レストラン、食堂の厨房グリストラップ、浄化槽の悪臭工事。繁華街や側溝の悪臭工事。港湾、漁港、河川、湖沼のヘドロ解消工事。畜舎の悪臭解決工事。農薬、油、重金属、ダイオキシン汚染の農地、土壌の改善工事。稼働中の小型焼却炉、解体焼却炉、土壌のダイオキシン対策工事。終末処理場の悪臭、使用期間延命工事。生け簀、ホタテ網の悪臭、環境対策工事。温泉の悪臭、泉質改善、有機物付着除去工事。等いずれも成果を挙げ、結果を出している32項目で請負を打ち出している。EMに対する県の理解を得られたことにより、ボランティア活動との相乗効果により、青森県下にEMによる環境浄化は加速し、企業としての取り組みはボランティアでは出来ない力強さがあった。

沖館川、万太郎堰の浄化活動

古川中学校生徒による万太郎堰へのEM活性液の投入


三内中学校生徒による沖館川のj浄化活動


EM活性液投入後の募金活動

 青森市を訪問した6月1日は、運良く中学校3校の生徒達による米のとぎ汁発酵液の投入日であった。
 投入箇所は、県の河川の汚染度調査で毎年ワースト1〜2番の沖館川、その支流の西館川、西館川に沿って掘られた万太郎堰である。沖館川は、有名な三内丸山遺跡に隣接したところが水源で陸奥湾に注いでいる。
 現在は、この流域にある高校1校、中学校4校、小学校 7校で浄化に取り組んでいる。今年から県庁としてEMの活動に初めての予算が付いた。この河川の浄化に97万円の予算が組まれ、それぞれの学校に分配されている。
 この活動は次のようなことから始まっている。それは一つのボランティア活動からである。青森市の小学校1年生全員に「たすけっこ防犯笛」を毎年寄贈している奈良さんという人がいる。その寄贈する笛のひも付けを中学校のボランティアで行っている。小、中学校を巻き込んだボランティア活動をしていた奈良さんが、EMの素晴らしさに触れ、木村先生に話を持ちかけたことから始まった。各学校で全校集会の校長先生のお話の後の10分位を頂いてEMの紹介が始まった。全校集会の30分時間を頂いたところもある。木村先生は、生徒指導担当もしていたので全校生徒の前で話すのはつぼを掴んでいる。「自分たちで昔の綺麗な川に蘇らせよう」等の意欲がわき起こり、たちまち生徒の心に火がついて盛り上がったという。
 最初に見学したのは、三内中学校で、校庭の脇を流れる沖館川上流部への投入であった。10Lのポリタンクで賑やかに、楽しそうに投入していた。米のとぎ汁発酵液は、全校生徒が、米のとぎ汁を1人1L以上を持ち寄り、それを生徒会でEM発酵液を用い発酵させている。どの学校も同じような方法で米のとぎ汁発酵液を作っているという。
 次に訪問したのが古川中学校であった。ここには河川浄化では一番早く取り組み、中心的な働きをしている西中学校の生徒も応援参加していた。総勢50人ぐらいで学校の脇を流れる万太郎堰に同じように投入していた。投入後、堰に架かっている橋の両側で大きな垂れ幕を中心に橋の両側に分かれて募金活動を始めた。「川を綺麗にしましょう」「川の浄化にご協力下さい」等全員が大きな声で呼びかける様は、迫力があり、通りがかりの人たちは募金をせざるを得ないような雰囲気で募金していた。大きな声が届いたのか、近所の人でわざわざ募金しに来た人もいた。みんな楽しそうに30分くらい大声を出し続けていた。


 7月9日には環境教育の一環として、中学校4校の内3校の全生徒がそれぞれの取り組み場所でEM活性液の投入を行い、1校は有志生徒により後日行うことになった。
 万太郎堰見学後、木村先生が西館川の上流でEM活性液300L投入にお付き合いした。人知れず小中学生が取り組んでいるボランティア活動をバックアップしていた。昨年秋、この投入箇所の少し下まで鮭が上ってきたという。
 今回取材させていただき、ボランティア活動が企業として成長していくことが様々な分野で着実な成果と継続性を生み出し、私たちの取り組んでいる、自然や生命を大切にした自然循環型地域社会作りのおおきな弾みになるのだと思った。企業組合縄文環境開発は一つの見本であると思った。


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