農業の醍醐味.41回


NPO法人関東EM普及協会
理事長 天野紀宜

はじめに
 2004年10月28日福岡で用件を済ませ、29日記紀神話でよく知られている日本人のルーツの一つである宮崎県高千穂を訪ねた。
この日はあいにくの雨だった。最初に天照皇大神の岩戸開きの神話で有名な天岩戸神社を参拝した。次に、天孫ににぎの尊を始め神々が合祀されている高千穂神社を参拝した。 天皇家は稲の神様をお祭りし、代々の天皇にその神霊がお宿りになると言われている。その皇祖である天孫ににぎの尊の降臨の地が九州山地につながる山深く、棚田の連なる高千穂の地であったことはどうしてなのだろうなどと思いをはせてみた。


石垣の村

石垣の村を訪ねて
引き続き見学させていただいたのが、高千穂から車で20分位の石垣の村であった。高千穂より更に高い山に囲まれた山深いところであった。石垣の村と言われるだけあって、山の傾斜に積まれた石垣で出来たわずかな平地に住宅があり、水田や畑もみな斜面に積まれた石垣によって作られていた。この石垣の面積の方が棚田の面積よりも大きいという。 この石垣は江戸城の石垣作りにかり出された石工達によって作られたのだという。重機のない時代、手作業でどうしてここまで石を運び積んだのだろうか。大変な重労働にどんな心を持って取り組んでいたのだろうか。今の私たちだったらこんな不効率なことを決してしないだろうなどと考えてしまった。
 昭和の半ば頃までは、山の手入れは行き届き、木を植えるときは孫のことを考えて植えたと言います。木が立派に育つのは孫の代になるからだ。今、目の前にしている石垣は孫の代どころか今の人たちの財産になっているのには驚かされる。ただ残念なことは、登だけでも大変な棚田の上の方から放棄田が生まれ荒れ始めていた。一番上の水田にはもう既に木が生えているところもあった。1から2年稲を植えない水田は荒れてしまう。元に戻すには大変な労力と時間がかかる。
 先祖の血のにじむ努力によって作られた水田を、その先祖の苦労を思い、また、子孫への思いを託して代々守り続けてきた水田も、今という時にその心が途切れようとしている。ただ決して当の農家、その家族を非難することは出来ないと思った。
 私たちの暮らし方、生き方、考え方をみれば非難は決して出来ないことだと思う。今私たちの暮らしを豊かにしているエネルギー、その多くを占めている石油。目先の豊かさを追い求めるばかりに、孫の代はおろか私たちの世代で使い切ってしまいそうな勢いで消費している。そして、孫の代に残すのは負の財産である環境問題である。
 有史以来2000年の歴史の中で、たった半世紀の50年ほどでまるで違う価値観で生きていることが不思議である。
 昔の人が先憂後楽を尊び、先に苦労して後で楽しむ生き方から、今は、先楽後優で先に楽しんで後で苦しむ、まさにローン地獄苦しんでいる人が多いことを象徴している。環境問題もローン地獄に似ている。
 ただ、この現代の暮らし方、生き方、考え方に問題意識を持ってEMに取り組む仲間が全国に広がって来たことは心強い限りである。

観光ホテル岩戸屋さんと自然農法の取り組み

 この夜、宿泊したのが東宮と西宮がある天岩戸神社の東宮に隣接する観光ホテル岩戸屋さんであった。ここのご主人の中薮紘三さんはもEMの仲間である。自然農法には昭和55年から取り組み、EMは平成元年から活用している。
 自然農法に取り組んだ動機は、自然農法に熱心に取り組んでいた人との出会いがあり、感化されたことによる。ずっとホテル経営をしてきて、全くの素人であったが怖いもの知らずで始めてしまった。取り組み初めて3年ぐらいは、手取り足取りの指導を受けた。最初は2反7畝の水田から始めた。今では機械をそろえて本格的に取り組んでいる。
 自然農法には二つの願いを持って取り組んだという。
 一つは、体によい健康な米や野菜を育てようと思ったからである。あまりにも人間の手が関わりすぎ、人間の都合に合わせすぎた農作物でなく、適度に人間が関わることによって自然の力が充分に発揮されている健康な農作物を育てたいと思ったからだという。そして、家族をはじめお客さんにも食べてもらえればと思った。
 二つ目は、地域の農家の人たちが農業離れをしていく姿を目の当たりにして心痛めていた。素人の自分が農業に取り組んで楽しみながらある程度の成果を得ることが出来れば、自然を大切にするなどの新しい価値観が生まれ、農業に希望をつないでくれる人が出てくるのではないかと思ったという。
 しかし、その思いは、お茶農家や主にトマト、ナスの産地なのでナスを栽培している特定の篤農家には伝わっていったが、地域の農家に影響するような処には至らず、まだまだ遠い道のりであると言っていた。 
 今ではホテルでの米は大部分は自家米で賄い、季節季節の果菜類などある程度の野菜も賄っている。
 宿泊した日の夕食は、自家米に黒米が入ったご飯が出て、朝食はキビが入ったご飯とソバの入ったお粥が出た。大変美味しかった。また、料理の方も高千穂ならではの器や食材、料理法があり堪能した。部屋の窓から見える景色は、天岩戸神社、高千穂神社を訪ねて神世をしのぶ気分になっていたせいか、なにか神話を思わせる風景に思えた。

EMへの取り組み
 平成元年から始めたEMを活用した活動は、当初は10人ほどで始めたが、試行錯誤が続き、会員の高齢化なども加わり、一人減り二人減るなど地域の動きになるような活動にはならなかった。
 平成9年頃から婦人会の会員であった栗原さん達が婦人会で取り組んだことから新しい活動が始まった。
婦人会を中心に生ごみのボカシ和えや、米のとぎ汁活性液による家庭内利用の輪が広がり、ボカシ作りの講習会も行われている。ボカシは農協でも販売されている。
 婦人会の取り組みは、高千穂から始まり隣の五ヶ瀬村婦人会をはじめ近隣の町村の婦人会へ活動の輪が広がっている。特に日ノ影町での取り組みは町ぐるみの活動に広がろうとしている。
 高千穂町では4、5年前から清流にしか住まないと言うカジカカエルが戻ってきたという。一時は全く聞こえなくなったカジカの声が聞こえるようになった。それと共にホタルが飛ぶようになり、トンボも多くなったという。自然農法の水田では目立って多くのトンボが飛んでいる。
 最近の取り組みでは、上岩戸小学校のEM活用による環境学習である。ボカシ作りや米のとぎ汁発酵液作りで、近くの川の浄化にも取り組んでいるという。

おわりに

EMの活動を始めてから年数を重ね、一歩一歩前進しては来ているがその活動には課題が多いという。町全体の活動になることを願って来たがまだまだ壁は高い。特に取り組まなければと思っていることは、紅葉で有名な景勝地高千穂峡を流れる五ヶ瀬川が汚れている。ここを綺麗にすることは観光誘致にも重要なことだと思っている。農業者への取り組みもこれからだと言っていた。
 長い活動の中では、停滞するときもあり、また活発になるときもある。人との出会いもある。継続は力と言われるが、初心を忘れずコツコツとその思いを育てていくことの大切さを学んだ。

以上

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