農業の醍醐味.42回


NPO法人関東EM普及協会
理事長 天野紀宜

はじめに
ここ数年、自然や命を大切にした地域興しについて取材してきたが、 今号では時間がとれず訪問が出来なかった。そこで、自然と人間の関係について考えてみたい。考えるきっかけになったのは昨年10月末のことだと思うが、私のパソコンに一通のメールが入った。

マスコミを賑わせた人里へのクマの出没
 「山に暮らす野生動物、特に今問題になっているクマの人里での徘徊を防ぐために、本来の住居である山中に餌としてドングリをまく活動をされている団体があり、その団体へドングリを送りたいと思いますのでご協力下さるか方がいらっしゃったら大変嬉しく思います」と言うようなものであった。
私の家の近くにはミズナラの木があり、孫とドングリ拾いをして、そのドングリでコマを作って遊んだりしていたので、休日で家に帰ったらドングリ拾いをしようと思っていた。するとまもなく次のメールが届いた。「ドングリ集めをしばらく休止したいと思います。ご協力有り難うございました」と。 
そのメールをみて、何も考えずにドングリ拾いをしようとしていたことに気づき調べてみようと思っているときに、「日系エコロジー2004年12月号」(p17)「クマ出没問題に意外な波紋NPOと学者が″保護″巡り対立」と言う記事を見た。まず、かいつまんで紹介させていただく。「絶滅に瀕するクマを助けようとドングリを山へ運ぶNPO(非営利組織)が現れた。そこに生態学者が待ったをかけた。クマ問題は生物多様性を巡る論争に発展。生態系回復の難しさを改めて浮き彫りにしている。」と言う書き出しで始まっている。
 概略は、対立の発端は、クマを野生動物の保護運動を行う日本熊森協会(兵庫県西宮市)が10月10日に発表した「駆除を止め、ドングリを山奥へ」と題した″緊急声明″から始まる。(私の依頼されて団体は別の団体)
 同協会の調べでは、国内に8,000〜12,000頭生息し、絶滅危ぐ種に指定されているツキノワグマだけでも、今年に入って900頭前後が、各地で人里に出没し射殺されているという。ドングリの凶作に加え台風で実る前のドングリが落ちてしまいネズミやリスの餌になってしまったと言う。また、病害虫も発生した。そこで、ドングリを熊の生息地に運ぶ運動が起こったのだが生態学者から一斉に待ったの声が挙がった。一つは、遺伝子攪乱の問題だ。国内の植物は同じ種でも、地域ごとの環境に適応するように遺伝的な特徴が異なる。遠隔地の遺伝子が突如持ち込まれることで、営々と築いてきた環境に順応した遺伝子が乱されることになりかねない。
もう一つは、害虫や病原菌を運ぶ危険性だ。ドングリの殻の中では一定の割合でゾウムシやメイガといった害虫が潜んでいる。これらの害虫は地域によって様々で、「名前すら付いていない新種が山ほどいる」(専門家)と言うほど、生態が明らかにされていない。運ばれた先のドングリに耐性がなかったり、天敵がいなくなったりすると、大繁殖する恐れがあると言うのだ。日本熊森協会は、ドングリを水に浸けて煮沸した後のまいたという。

自然と人間の関係
 私たちは、自然と無関係では生きてはいけない。自然の恵みである食べ物が無ければ生きていけない。呼吸を5分止めていられない。太陽、水、空気と自然の恩恵を知らず知らず受けて生かされている。その自然と人間の関わり方を正しく理解し、正しい関わり方を考えなければならない時が来ていると思う。
 今年はクマの被害がクローズアップされたが、農業における獣害は年々大きなものとなっている。サル、シカ、イノシシ、タヌキ、等々との知恵比べにも限界が来ている。その原因は皆同じで、元を正せば人の自然に対する関わり方にあるのだ。
 森林には、大きく分けて二つの機能がある。一つは環境を保全する公益機能。炭酸ガスを吸収して酸素を作り、水をたくわえ、生物社会に無くてはならない環境を与えて、物質循環による生物の多様性を維持していく。自然の景観は人の心を癒し、教育的役割を果たしていく等々。
 もう一つは木材をはじめとした林産物を提供し、人間生活に役立てる経済機能だ。戦後、科学技術の発展に伴い経済が最優先される中で、丁度、生命にとって最も大切な食べ物が、食べ物としてではなく商品として扱われ、農薬・化学肥料・添加物の多用に繋がり様々な健康問題を引き起こしているように、森林の機能も経済機能が優先された。その結果、皆伐一斉造林方式が取り入れられ、皆伐された後は成長の早い杉を中心とした、杉・桧の人工林が多くなった。ドングリを実らせるブナやミズナラは減少し、様々な実を実らせる広葉樹林は減少した。また、経済性を求めて植えたはずの杉や桧が経済性にあわなくなると多くの森は放置林となった。放置林の林床には更に日が入らず植物の多様性が失われ、微生物や土壌動物、昆虫をはじめとする動物の多様性が失われる。従って、クマやサル、シカ、イノシシなどの餌が減少し、人里まで現れるようになってしまった。みな、人がしたことである。

故東京大学名誉教授高橋延清先生

 ここで思い出されるのが、本誌33号で紹介させて頂いた、北海道富良野にある広大な東京大学北海道演習林を育て上げ、エジンバラ公賞をはじめ数々の賞を受け世界的に有名だった故東京大学名誉教授高橋延清通称泥がめさんだ。(詳しくは33号を一読頂きたい)泥がめさんは、戦後始まった経済性のみを最優先した皆伐一斉造林方式を一人批判し反対した。当時受け入れられなかったことが、経済機能、公益機能共に優れていることを実証したことによって今になって評価されている。それが有名になった林分施業法の6つの法則であった。ここでは紙面の関係上一番目と六番目の法則を紹介する。
「(一)天然林は、各分林が極盛相の直前に早く達するよう誘導し、かつ、このステージで回転させる。途中層の森林は、このステージに向かって施行する。
極盛相というのは、森林の最終的な段階というか、枯れていく木と生長していく木の比重がプラス・マイナスゼロの状態を言うんだ。この相は老齢過熟木が多いので、活力も発展もない。だから、最も物質的な生産量が大きく、活力ある状態、つまり極盛相の直前に早く到達するように、人間が手を貸してやる。成長の減退した老齢木や不良木は伐採して後継樹の生育を促し、森林の生長量を高めて品質の向上を図るのである。又、山火事後の再生林で、元の針広混合林へ向かう途中層にある場合は、人間が再生林に働きかけて発展のスピードを速めることが重要である。
(六)地力を維持し、諸害に抵抗力の高い健康林(針広混合多層林)の造成を目標とする。病気や虫害、獣害、気象害などに対して抵抗力の強いのは、単相森より多層林だ。天然の森は、病菌や昆虫などの著しい増殖を抑える自己調節作用のはたらきがあるからね。また広葉樹の落ち葉は、地力の悪化を防ぐ自己施肥作用がある。それに天然林内での広葉樹の落ち葉は、風害や病虫害に対して抵抗力を高める保護的な役割を果たして居るんだ。
 健康な森林は、多くの生物群がバランス良く保たれて、正常な物質循環を行う森林生態系そのもの、つまり小宇宙なんだよ。」(「樹海 夢、森に降りつむ」P58、P60、より)
 あらゆる生物は、親の数より子の数が少なければ種の絶滅に繋がり、親の数より子の数が多い分だけ利子となり、その分人間が利用できる。しかし、自然の中ではいつかは親と子が釣り合うところに来る。それが森で言えば極盛林である。稲で言えば、一粒の種が約150粒にもなる。150粒とれ続けるのは人間が毎年お世話しているからである。自然にしておきけば稲もいつかは親と子が釣り合う極盛相に到る。
 東大演習林では、老齢木や、曲がった木、遺伝子の悪い木から択伐していく。それも日当たりや風通し、針葉樹と広葉樹のバランス、幼木と成木のバランス等、森の景色まで考えて択伐していく。すると人工林より遙かに大きな生産力を維持する。一本800万円以上するというウダイカンバの木が数百本はあり、トドマツやエゾマツ等の針葉樹、カンバ類、カエデ類、ニレ類、ミズナラ等の広葉樹、選抜された見事な木々が育っていた。成長に応じて林分毎に出荷されている。これは20年30年後にどのような森になっているのだろうかと言う人類の未来をかけた大実験だと言っていた。また、森は美を求め、調和を求めていると言っていた。
 この様に自然に対する人間の関わり方によって自然の偉大な機能・能力(循環、成長、繁殖、調節機能等々)を引き出すことも出来るし、殺してしまうこともできる。経済性を最優先した市場経済社会では自然からの収奪という形で自然を痛め続けている。
  私たち人間は、生命の最小単位の微生物とも同じDNAを持った自然的存在であると同時に、思考能力を持ち、創造性を持った社会的存在でもある。人間には、すべての生き物が暮らしやすい有り様を考える役割がある。この自然と人間の関わり方について次号でもう一度考えてみたい。

以上

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