農業の醍醐味.43回


NPO法人関東EM普及協会
理事長 天野紀宜

はじめに
 今号では前号に引き続き、「自然と人間の関わり」について取り上げた。前号では、クマの人里への徘徊、農林業の大きな問題となっている獣害から自然と人間の関わりについて考えてみた。その自然と人間の関わりについて、自然農法の創始者の自然観を基に考えてみたい。

人間の役割
 まず、創始者の論文の抜粋を挙げてみる。
「人間は自然の意志の代行者であり、この地上に健康で、豊かで、調和のとれた世界を建設するという大きな使命を課せられている」「人間は、他の生物のように自然の意志のままに生きて生活するだけでなく、自然の意志の範囲の中で、自然を人間にとってより良くしたり、破壊して自ら破滅したりすることもできる自由を与えられている」「人間のやり方次第で、この世はいとも楽しい楽園にもなり、その反対であれば、いとも悲惨な地獄にもなる。人間が万物の霊長としてこの地球を支配する」
 創始者は、人間が思うままに自然を支配するという傲慢な古典的観念を持っていたのではない。むしろ人間には、人間が中心となって全ての生き物が共存し、共生するための役割が与えられているという新しい考え方をもっていた。このことについて考えてみたい。

人間の誕生(使命)
 人類の誕生がいつ頃のことであったかは、現在のところよくわかっていないが、類人猿とヒト型生物の分化は、化石からは300万〜400万年前頃、分子生物学では500万年前頃と推定されている。しかし自然に対して人間が能動的に働きかけるようになった時点を人間の誕生と呼ぶのであれば、人類の誕生は約1万年前と考えられている。それ以前の地球は気温の変動が激しかったのが、その頃から安定期に入り、それと共に農耕が始まって人間圏が確立された(農耕を始めたのはクロマニョン人)と言われている。人間が自然に対して能動的に働きかける、その最初が農耕であり、森林を伐採・開墾して農地化する農耕の開始によって、地球のエネルギー循環はその速度を速めた。
 狩猟採取の時代から、農耕が始まると、自然と人間との関係に大きな変化が生まれた。人間は、自然を利用する術を身につけた。このことは、自然の自律機能(循環機能、成長、繁殖、調節機能等々)をより発揮させたと同時に自然破壊も進めた。以下では自然と人間の関わり方について掘り下げてみたいと思う。

農耕から見る自然の能力を引き出す工夫
 人間を人から人間へとあらしめた農業においても、自然を軽視し、人間の都合を中心とする自然観を基にした農業は、自然を破壊し、環境や健康問題、その他多くの問題を抱えてしまった。
 岩田進午によれば、「農耕の開始以来、現在の農耕地面積約14億4000万haを上回る20億haもの農地を不毛の地にし、ナイル川流域、メソポタミア、インダス河口などの古代文明の発祥地は、現在、砂漠や荒野と化していて、現在も、わが国の全農耕地面積を超える600万haの大地が、毎年砂漠化、不毛化している、と説明している。(岩田進午 「健康な土」「病んだ土」新日本出版社)」
 一方、 人類は農業を営むことによって自然の能力を引き出す工夫もしてきた。地中海農耕文化、根菜農耕文化等々、その気候風土によってそれぞれの農耕文化が築かれてきたが、地中海農耕文化圏では輪作、三圃式農耕などが、根菜農耕文化圏では自然の能力が回復し、さらに能力が発揮できるような適度なローテーションによる焼き畑、間混作、水田などが実施され、自然の能力を永続的に引き出す工夫がなされてきた。そこには、現在しばしば行われる再生期間の短い使い捨て型の焼き畑農業は見られなかった。
 水田を例にして、自然と人間の関わりを述べてみよう。水田を長い歴史の中で考える時、里山も併せて考えなければならない。わが国特有の農村景観や農村文化を生んできた里山は、水田面積の増大とともに拡大した。里山が産み出す刈り草や落ち葉、腐葉土などは厩肥・下肥等と併せて堆肥として水田に豊かな実りをもたらしてきた。また、メダカ、イナゴやヘビやカエル等々数え切れないほどの多種多様な生物種と安定した共存系は、里山や水田がなければ生まれなかっただろう。しかし里山は人間の手が加わらないと安定維持できないのだ。
 わが国の関東地方沿岸から西南日本にかけての地域の植生遷移の最終点は常緑広葉樹林(照葉樹林)だ。ブナやナラ、シイなどの雑木落葉広葉樹林である里山林は、薪や炭のための樹木の伐採、農耕地の肥料としての下草、落葉や落枝、腐葉土の収集による養分の持ち出しによって遷移が停止された状態にあるのだ。したがって今日のように下草や落葉等の活用が無くなれば地力が高まって遷移が始まり、里山林は照葉樹林に向かって移行してしまう。里山が里山として多種多様な生物を生みだし、水田に養分を供給し続けるためには、人間の手が加わり続けなければならないのだ。このように、自然に対する人間の関わり方によって、自然は自律的な機能と能力をより発揮でき、私たちに持続的に豊かな恵みを与えてくれるのだ。
 元農業改良普及員でNPO法人「農と自然の研究所」代表理事の宇根豊氏はその著 「『百姓仕事』が自然をつくる」で次のように言っている。「明治以降の『自然(環境)』という概念を持ち込むなら、全て自然だったのだろう。現在でもその名残が僕たちの感性にはある。なぜなら、田んぼで生まれる赤トンボもメダカも、ゲンゴロウもホタルも、蛙もヘビも僕たちは、『自然』だと思っている。人為の加わらないのが自然だという誤解が定着したあとでも、これらの生きものは、田んぼに稲を植えるという人為(仕事)によって、生存が保証されている生きものに、『自然』の生きものだと思っている(p.32〜33)」。また別の個所では「自然に手を加えて、より一層自然を輝かせている百姓仕事の本質が理解されていないと思われたからだ(p.38)」。宇根氏の観察眼は、私達に身近にある自然が、実は自然と先人の協働作業の結果であることに気付かせてくれている。
 当財団理事をされていた昆虫学者の高橋史樹先生は次のように言っている。「被子植物は種子を落として繁殖し、増殖していくが、極相になると、まかれた種子と実る種子の量は同じになる。稲も極相に至ると種子と実る量は平衡するが、人間が田を整え、苗を育てて移植し、除草や水管理等の栽培管理をすると、来年の種子を引いた以外の収穫を利子として人間が頂くことができる。この繰り返しの中では稲が極相に至ることはなく、利子分は頂き続けることができる」。高橋先生のこの言葉は、適度に人間が関わることで自然の生産量がより増大することを教えてくれている。畑作においても自然の機能、能力をより引き出す工夫、例えば混作や間作、輪作、品種の選抜と育生等を通して、より多くの利子分を頂いてきたのだ。
 農耕はその歴史の中で多くの土地を砂漠化、不毛化してきた。しかし一方では自然の摂理に学び、安定した農業、持続可能な農業を実現してきた歴史もある。以上のように、自然に対する人間の関わり方によっては豊かな自然を破壊することもできるし、健康で、豊かで、調和のとれた方向へとより創造的な前進に寄与することもできることが伺える。

人間は自然とどう関わるべきか
 冒頭に述べたように、生物の一種としてのヒトとは異なり、人間は自然に対して能動的に関わることができる唯一の生物だ。私たち人間は、生命の最終単位の微生物とも同じDNAを持った自然的存在であると同時に、思考能力を持ち、創造性を持った社会的存在でもあるのです。この事を中村佳子さんは次のように言っている。「共通の祖先から生まれ、さまざまな生き方をするようになった生きものの一つとしてのヒトであり私たちであるという認識はとても大切です。二つめは、共通性がたくさんありながら、人間は他の生きもの達にはない思考能力を持っているのだから、それを生かしてすべての生きものが暮らしやすい地球のありようを考える役割があるということです(「『生き物』感覚で生きる」中村佳子 講談社)」と。
 現代社会は農業や様々な産業、日常生活に至るまで、環境を抜きにして考えられなくなって来た。私たちは、自然の恵みは無限大にあるものではないと気づきつつも、無限大にあるという錯覚から抜け出せずにいる。自然の自律機能を無視し自然の恵みを収奪し続けている。今こそ「自然の自律機能を生かし、より豊かな恵みを生み出してその利子分だけを頂く」という発想に立たなくてはならない。現在まで進歩してきた人間の英知を傾け、自然の持つ自律機能、偉大な能力を最大限に引き出す方向へと転換しなくてはならない。
 自然はいつかは極相にいたり、自然の生産量と消費量は一定になります。しかし私たち人間が賢く関わることができれば、自然は極相の一歩手前でとどまり、より多くの生産物を私達に与え続けることができるのだ。自然農法の思想と実践もその一つだ。慣行化学農業のように自然から収奪的に生産を上げるのではないのだ。自然のもつ生産量を最大に維持し続けることで、自然の持つ力を引き出し、より豊かな恵みを受けることができるのだ。
この恵みを受けるのは人間ばかりでなく、全ての生き物が同じように受けることが出来るようになるのです。私たち人間は、社会の仕組みや、生活全般に亘って生き方、暮らし方、考え方を見直さなければならないところに来ているのだと思う。

以上

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