農業の醍醐味.51回


NPO法人関東EM普及協会 名誉会長
(財)自然農法国際研究開発センター 理事長
天野紀宜
生産者の皆さんと

はじめに
 6月3日、4日会津若松を訪ねた。訪ねた先は、すっかり寂れてしまった、かつての若松市中心の大町通り商店街である。どこにもあるように、車社会になってバイパスが出来、新しい商店街が生まれ、郊外に大型店が出来、かつての賑わいを失っていった。その商店街、大町通りに出店した土曜夕市の店を訪ねた。
 丁度この日は、今年で2年目の店開きの日であった。6月3日から11月いっぱい毎週土曜日に開店するという。時間は3時から夕方の6時までである。
 訪問したのは、3時半頃だったので開店の混雑が残っていて盛況であった。一段落した後でもお客さんが切れることなく、人気のある野菜から順次売り切れが出ていた。
 この店のリーダーである栗城さん(後に詳しく紹介)は完売するのが目的でなく、後から来るお客さんにも品そろえ出来るよう心がけようと呼びかけているといっていた。あくまでもお客さん中心に考えていた。
 先ず、出店の経緯と願いを紹介する。

出店の経緯
 この夕市の出店までには長い道のりがあった。最初に取り組んだのは今から13年前のことであった。そのきっかけを作ったのは栗城さんで、13年前、生協に有機農産物の販売をお願いした。当時としては、その意義も分からず、すぐ却下されてしまった。再度挑戦したのは10年前で7名の会員であった。その時の返事は「どうしても売りたいなら市場を通してください」とのこと。理由は、農家を信用していなかったからだと言っていた。
 市場を通せば豊かな野菜の生命力がそれだけ失われてしまうのでそのことには反対した。諦めずに話し合いを進めていくと、農家の責任で売るよう生協の店の中に売り場を設けていただくことになった。
 生協の若松店から始まったが、生協側の不理解から、新鮮な野菜ならばと、慣行農業をしている人も一緒に入った直売所となった。(現在は有機栽培農家だけである)
 次に交渉したのは、有機農業の農家だけの売り場であった。その結果、生協坂下(ばんげ)店で出店することが出来た。せっかく出店したが、現在と違い、この店の売り上げは上がらず、坂下店での販売を続けながら、今から7年前、土曜夕市を始めることになった。現在の店を開いたのは昨年で、それ迄の5年間は青空市であったが不思議と雨にあった覚えがないという。それほど天気に恵まれたと皆さんは言っていた。
以上が大まかな出店の経緯である。

古民家を利用した土曜市のお店。地域の
お年寄りのお茶の間にもなりつつある

出店の願い
 大町通り商店街のほぼ中央にある古民家をお借りし土曜夕市は次のようにして誕生した。
きっかけはこの商店街の婦人会「アネッサクラブ」が開催した講演会にある。その講師に、FENネット(会津若松を中心にEMによる農業への取組、環境浄化活動をしているボランティアグループ。福島県全土に拡がっている活動のもとを作っている)の顧問である清水さんという方の紹介で、新潟から河田珪子さんという方を招いた。
 この方は新潟市の職員で、日曜日に福祉活動をしている。持続可能な社会を願い、「お茶の間構想」というお話であった。孤独な老人を作らないために商店街にお茶の間的な店を作るというものであった。既に100カ所ほどのモデルが出来ているという。この9年ほど前の講演に大変感動した栗城さんは、長年夢を抱き続けていた。栗城さんはFENネット元会長で、幸い、FENネットで活躍している初代アネッサクラブの会長山口及子さんも同じ夢を持っていたことで一昨年、お互いの夢が実現した。また、この商店街の初代会長さんの力強いバックアップもあった。こうして大町通りに最初のモデルとして、「お茶の間構想」の店が立ち上った。
 栗城さんは、この夕市は、山口さんご夫婦の協力なしでは成功しなかったと言っていた。 商店街ばかりでなく、商店街の周りにもマンションが増え、郊外に買い物に行きにくいお年寄り、一人暮らしで、話し相手の居ないお年寄りが増えている。そのような人たちが既に常連のお客さんになっていた。店の中央にはテーブルと椅子が置かれていて、漬け物、お菓子、お茶が出ていた。これを充実させていきたいと言っていた。
 お年寄りとの交流により、先ず良かったことは、その人達の知恵を頂けたことだという。
 生産者の方からは、どのくらいの面積でどれくらいの収入であるとか、農家の苦労、この作物はどのようにして育つのかなどの様々な情報を提供している。そして、何よりも良かったのは、野菜を美味しいと言って喜んで食べてくれることだった。ここに出荷しているのは6件の農家だが、みな農業に対する姿勢が変わったという。6件の農家は全員有機JASの認定を受けている。認定を受けることによって農業に対する緊張感が生まれ、背筋が伸びたという。しかし、それ以上に、店に来られる人たちと接することにより、もっと美味しい物を育て喜んでもらおうと、農業に心が入り、より創造的な農業に変わっていったという。
 農協の言われた通り栽培し、農協に出荷していた時とはまるで変わった。皆さん「儲からないけど楽しいね」「夕市をやって良かったね」と言っていた。農業への取り組む意義や、喜びを知り、皆の心が一つになった。それぞれの生活の中での問題点まで共有される様になったという。
 スーパーは、照明を明るくし、水をかけ、斜めに立てて陳列するなど野菜を綺麗に見えるよう工夫されている。しかし、販売台に置いただけの野菜がそれ以上に美しく見えた。野菜のどれ一つとっても見事に育っていた。
 若いお客さんも結構来ていて、ニンニクの芽の食べ方を聞いていた人に、料理の仕方を紹介していた。
 私の子供の頃は、町には米屋さん、八百屋さん、魚屋さん、酒屋さんがあって、そこが情報の収集・発信の場であったと聞いたことを思い出した。

産消提携
 産消提携は、現代社会が抱えた環境問題、健康問題、自給率の問題、地方文化の喪失等の問題解決に対して、再びクローズアップされてきている。土曜夕市の取り組みも、産消提携の意義を提示している。その幾つかを紹介する。
○生産者の顔が見え、思いが伝わっている。そこには、生産者と消費者の心の繋がりが生まれ、作物を育てる時の情報も伝わっている。消費者の求める、安心・安全は充分満たされている。そして、旬の野菜が朝取りで新鮮な内に食べられる。健康は当然増進する。主に地域で食材をまかなえば自給率も上がる。
○生産者と消費者、生産者・消費者同士の情報交換が生まれ、お年寄りの知恵を頂いて、地方の食文化である伝統食を味わうことが出来る。また、復活させていくことも出来る。このことは、健康や自給率に繋がるばかりでなく、風土にあった地方文化の復活にも繋がる。
○磐梯山を始め四方を山に囲まれた美しい会津の自然の中で、農業に取り組む喜び、農村に住む幸せが伝わってくる。近代化された都市だけに魅力があるのでなく、農村の魅力が伝わってくる。自ずと、景観の保全、環境の保護に伝わり、自然や命を大切にする心を育み、環境や健康問題を克服していく心を育てる。
○貯蔵費、包装費、輸送費は殆どかからない。それだけ環境に優しいし、値段にも跳ね返ってくる。私も野菜を買わせて頂いた。大変美味しかったし、安いのにも驚いた。
 土曜夕市の性格は違うので、ここでは無理と思うが、子供も加えて、圃場での交流が出来、自然や大地に触れ、収穫の喜びを味わうようになれば、この土曜夕市は、大規模広域流通では出来ない、産消提携の特徴をほぼ備えているのではないかと思った。
 このお茶の間構想の取り組みには、経済産業省(東北)、宮城大学の先生も、新しい試みで、これからのモデルになるのではないかと、注目していると言っていた。

栗城さんの紹介
 この度の取材で栗城さんのお話には大変感銘を受けた。ただ、土曜夕市の取材だったので一部の紹介になってしまうが、主なところだけ紹介させて頂く。
 栗城さんが、有機農業に取り組むきっかけとなったのは、米穀商をしていたが、昭和38年養鶏も始めた。その経験がもととなった。
 養鶏を始めて見ると、ニワトリにとって怖いコクシジュウムという病気があって、予防薬としてサルファー剤を使う。すると1週間はニワトリの成長は止まる。また、エサには必ず抗生物質を入れる。このことに先ず疑問を感じた。そして、食を預かる身として、人間性の問題ではないかと悩むようになった。昭和50年、このままほおかむりをしてしまうか、止めるか決断がつかず悩んでいるとき、フト聞いたラジオ放送がきっかけとなって、無薬の養鶏を試みることにした。様々な思考錯誤はあったが今では成功している。
 滅菌、滅菌と殺すことばかり考えないで、雑菌の中で生きられる免疫力を付け、全てを生かす考え方をした。ニワトリをジッと観察し、ニワトリが求めている、ニワトリの生理にあった育て方をして、薬浸けの養鶏に比べて5割り増しの成績を上げることが出来たという。
 コクシジュウムは酢で対応できることも分かった。これだけは多くの人に受け継いでもらいたいと今でも強い願いを持っていた。家畜試験場の人や養鶏業者はほとんど本気にしてくれない。多少取り組んでみようという人も、すぐ何倍にしたら良いかと質問が来ると言う。やり方だけを聞いて分かったと思うことは、最もいけないことだと言う。栗城さんは、「ニワトリに聞いてください。ニワトリはちゃんと教えてくれる。」とえ答えている。濃すぎれば、ニワトリはくちばしでピットはねるという。
 生物を扱う時、何事も、マニュアル通り実践して成功したためしがない。そこには創造力もなければ、苦難を克服していく実践力も育たない。何よりも自然からの知恵が頂けないのだという。
 栗城さんは、平成7年には自然農法にも取組始めた。77才になるが約1町歩の畑作に取り組んでいる。作物ごとにお客さんが付いていてとてもやめられないと言う。自然農法に取り組み、自然観察をし、年ごとに、自然の意志、仕組により近づいた農業に取り組みたいという思いが、困難を乗り越える力となり、困難が次のステップに繋がり、創造力、夢へと拡がってゆくという。常に青年のような情熱を持っていた。
 栗木さんのお世話するグループは、14戸の農家で20町歩(20ha)その他、FENネットの関係の農家で有機農業に取り組んでいる面積は約70町歩、2〜3年すると会津盆地で100町歩は越えるだろうと言っていた。また、それ以上にしなければならないとも言っていた。そして、専業農家の経営を安定させるには、産直に併せて、加工への取り組み、作物の産地化を計り、大量出荷の道も模索すると
いう夢も抱いていた。

以上

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