農業の醍醐味.53回


NPO法人関東EM普及協会 名誉会長
(財)自然農法国際研究開発センター 理事長
天野紀宜

はじめに

 7月20日函館まで約35km位のところに位置する道南の厚沢部町を訪ねた。厚沢部町の名前はアイヌ語のハチャムベツ{サクラ鳥(ムクドリ)の川}から来ているという。500年近い歴史がある。北海道畑作の発祥の地であり、ジャガイモのポピュラーな品種であるメークインの発祥の地で、メークインの里としても知られている。厚沢部メークインは大正14年試作されて以来、改良が加えられて来た。その厚沢部町で50haの畑作に取り組んでいる由利和男さんを訪ねた。
 由利さんは、この地で農業に取り組んで4代目になるという、既に5代目である息子さんに経営の主体は受け継がれていた。
由利和男さんとジャガイモ畑


由利さんの農業への取り組み

 現在、69歳になられる由利さんは、54年、半世紀に亘って農業に取り組んで来た。小作時代から農地解放を迎え、新たに農地を求められて開墾、昭和24〜25年頃には6haの水田と畑4haを耕作した。当初は水田10aで4俵位の収穫しかなかった。年々収量は上がっていった。39年結婚した。昭和45年頃には水田の面積も増え、「最高で880俵出荷した」という。その昭和45年に減反政策が始まり、翌年全耕地畑作に転換した。その後も農地は少しずつ増えていった。
 10年位前から、この地域の農業者も高齢化して来て、農業年金、老齢年金などの年金で充分暮らしていけるので農業離れが始まっている。しかし、先祖からの農地を荒らすことも出来ず、手放すことも出来なくて、農地の借り手を捜す様になってきている。そのようなことで、この10年位に耕作面積は24ha〜25ha増やしてきた。
黒豆畑
トウモロコシ畑

 農業者として、20年にわたり町会議員を務め副議長も務めた。地域から町議が二人出ていた内の一人が辞めることになり、町に若い息吹を吹き込もうと地域の若手から押されて、当選の目処も立たないうちに立候補し当選した。
 議員として、公共事業や建設に対する特別委員会を設置し、指命委員長を町長から助役に移すなど、町政の透明化と町の近代化に尽力した。更に農業に対する新しい時代に向かった農業の振興策、助成や農業の基本の堆肥作りに取り組み、何よりも先進地域の情報収集にも努めた。
 EMの取り組みもその一つであった。たまたま知人から知らされ比嘉教授の講演会に出会い、その後先進地域も見て回り、これだと思い取り組んだ。直ぐに議員仲間、農家を集めて「EM研究会」を結成、自然農法センターの北海道地区普及所長を招いての勉強会なども行った。残念乍ら現在はEMの活用は堆肥作りに留まっている。一番の原因は苦労して育った作物も販売するルートが見つからなかったことだった。それと、この地域は北海道としては気候もよく、地味豊かでメークイン、黒豆という特産品があって少し努力すれば立派に農業として成り立っていく環境にあった。
 由利さんの後継者は立派に育っている。息子さんの就農によって規模拡大も着実に進み、現在50haまで広がった。しかし、規模拡大に伴って、機械代や資材代がかさむので良いことばかりではないとも話していた。
 ただ、経営だけにこだわってきたわけではない。半世紀を超て農業にひたむきに取り組んで来られた由利さんの、作物をジッと眺める姿、説明される姿、話しの内容に豊かな人間性がにじみ出て風格さえ感じさせられた。

メークインの栽培
 この地の黒豆は、丹波の黒豆の粒の大きさにはかなわないかもしれないが、それに近い良品のもので主に大阪や名古屋方面に出荷されているという。由利さんも黒豆を中心にメークインの栽培に取り組んでいる。主にEMを活用しているのはメークインで、今年は12ha栽培した。
由利さんの名札の裏に紹介されている栽培のポイントをそのまま載せさせて頂く。
@EM農法で栽培しております(平成7年より)
A植付後の除草剤は一切使用しておりません
B生育中の病虫害管理防除には有機栽培(JAS法)適合資材も使用、EM活性液3〜4回散布
C収穫期の芋の茎処理には枯葉剤を使用しておりません
当農園ではチョッパーで処理しています。
D畑はEM農法で土の持つ力を十分に発揮して、芋全体が均一に柔らかく甘くほくほくです。
特に冬越しの芋は絶品です。
E皆様に安心して食していただけるように農薬は出来るだけ最小にし、EMボカシ、EM堆肥、有機質系の肥料で育てました。
私共の想いを持ったこだわりのメークインです。
この様に紹介している。有機化成等も使っているので、有機JASの認証は受けていない。来年から休耕地だった約1haの畑に緑肥を栽培していて有機JASの申請をすると言っていた。本格的な取組を始めようとしていた。
 メークインは、発祥の地、厚沢部で長い間様々な改良が加えられて来た。その土地でメークインの持つ能力が引き出されて来ている。北海道のどの土地で育つよりも、この地域のものは良品質なものが育つという。その上、由利さんはEMを活用し自然の能力を引き出すことを基本とした栽培をしている。味はこの上ないものとなる。
メークインの花

 メークインはねっとりとして甘く、煮くずれしないがデンプンは少なく、ほくほく感は少ない。ところが由利さんのメークインは、ふかすと、ぽっかりと割れてメークインと男爵の両方のうま味を持っていて、何とも言えないおいしさだという。顔の見えるお客さんから、「おいしかった」と言う感謝の言葉が多く届けられている。「お客さんからの感謝の言葉が農業者としての一番の生き甲斐だ」と話している。
 由利さんにとって更に喜ばしい話がある。それは孫の碧海(あおみ、15才)さんの事である。北海道電力・毎日新聞社第33回中学生作文コンクールに応募した。応募数16.000余点で、特選5点、特別賞30点、優秀賞85点、入選600点が選ばれた。その中で、特選「北海道中学校長会会長賞」に選ばれて、今年(20006年)1月表彰されている。
 内容は、由利さんのメークインを食べた人たちから寄せられる感謝の言葉であった。
「自然にも、食べてくれる人たちにも、優しい農業を目標に頑張っています。」と、まず、自己紹介に続き、家の紹介をしている。「農業は作る人と食べる人で成り立っています」と、農業は自然との触れあいだけでなく、人との触れあいの中で成り立っていることを紹介した後で、消費者からの4通の感謝の手紙を紹介し、次のように結んでいる。「農家にとって一番嬉しいことは、物が高く売れた時より、自分たちが春から作ってきた物を食べてもらい、おいしい!ありがとう!そう言ってもらうのが喜びだと思います。私がこれから高校に進学しても、喜びを交換できるよう関わりを大切にしたいです。」しっかりとした考え方に驚くと同時に、由利さんの心がお孫さんまで、着実に受け継がれていることに感動を覚えた。

課題となっている流通
 由利さんは、「せっかく味の良いジャガイモを育てても、その価値をわかってもらえる人に食べていただけるような流通がある程度出来るようになるまでには様々な苦労があった」と言う。「EM研究会」を作った仲間が、由利さんと同じように続かなかったのも流通がうまく行かなかったからで、前出の通りである。
 由利さんは、農協への出荷もあるが札幌の市場、函館の市場から味の良いメークインが欲しいとのことで出荷している。個人への宅配も多くなってきている。
 今年、横浜の仲卸の人からの依頼があり、食べていただいたら大変気に入られて、今年の秋が楽しみだと話していた。此の様な取組も緒に就いたところで、これからも一番大きな課題だと言っていた。
 現在は、有機JASの認証を取ってもその価値のわかる人に食べて頂けるような流通ができないことが多い。それを打開していく一つの道として、美味しさをわかって頂くことではないかと思った。その上、安全安心なら申し分ない。例えば、レストランやホテル、小学校給食、直売所に来た人に味わって頂くなど、多くの人に食べて頂けるような機会をつくることも重要な取組であると思った。

おわりに
 昔、息子さんが「農協出しは少しでも手間をはぶくためにEMを活用しなくても良いではないか」と言ったことがある。しかし由利さんは「それはいけない。我が家の味はどこでも均一に出さなくてはいけない。」と諭したと言う。「農業者の心を失ってはいけない」とも言っていた。由利さんの心は着実に息子さんに受け継がれていた。
 就農して54年、今の心境を尋ねると次のような事を話してくれた。「情報を求めて歩くことで、大切な情報は自分の手で掴むことだ。」
 厚沢部町のようにメークインや黒豆という売れ行きの良い特産品があり、農産物の豊かな生産地であっても、国の政策だけに頼っていては、農業が立ち行かなくなるのではないかと言う。力強い農業への転換は、自から情報を求め、国の政策を活用しながらも道を切り開いて行かなければならない時がきているのだと思う。いまや市場や農協まかせの流通だけでは農家は立ち行かなくなってきている。生産者と消費者が一体となったあり方の中に農業本来の新しい道が開けて来るのだと思う。農業者は生産者の健康を守り、消費者は農業者の経済を守るという、生産者と消費者が一体となった農業の振興が求められる時が来ているのではないかと思う。そこに自然や生命を大切にした循環型の社会が生まれるのだと思う。日本農業の今後の姿を学ばせて頂いた気のする道南への訪問であった。

以上

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