農業の醍醐味.56回


NPO法人関東EM普及協会 名誉会長
(財)自然農法国際研究開発センター 理事長
天野紀宜
熊谷秋夫さん、博子さん。EM活用のりんご園で

はじめに
2006年10月秋田県の東南部に位置する横手市と合併した旧十文字町で、住民と行政が一体となって生ごみを堆肥化し、循環型の社会を目指して、精力的に活動している熊谷秋夫さん、博子さん夫妻を訪ねた。
旧十文字町は平成12年、県のモデル事業として住民と行政が共同で取り組む「生ごみ循環利用システム確立」を目指し、調査事業をスタートさせた。更にその年、農業生産者、農協、商工会、婦人連絡協議会行政担当者など18団体、グループ、関係機関などの代表で構成された「十文字資源循環推進協議会」を発足した。今回訪問させて頂いていた熊谷秋夫さんの奥さん博子さんがその会長をしていた。当時、消費者の会会長をしていて、EMの活用による生ごみ堆肥化に町で最初に取組、モデル事業の立ち上げに中心的役割を担ってきたことから会長になった。負けず劣らず活動してきた秋夫さんが幹事長となった。事務局は、町の生活環境課(環境保全担当)に置かれた。
EM効果をみてもらっている色鮮やかな花壇

この活動は、ゴミ減量に於いて県内トップクラスの自治体の評価を得ている。また、生ごみ堆肥の栽培モニターが栽培する野菜は、直販場を通して産直が生まれ、学校教育にも様々な形で大きな影響を与えている。
お宅を訪問させていただくと、屋敷の前の畑には手の行き届いた綺麗な花壇があり、その続きに様々な種類のダリアが見事に咲いていた。時を忘れてしばし見とれていると、ご夫婦が家から出てこられていた。EM活用の成果を聞きながらまた見入ってしまった。

EMとの出会い
お二人が此の様な力強い活動に取り組んでいるのはやはりEMとの出会いからである。
EMとの出会いは、整骨院を営んでいる息子さんが「地球を救う大変革」を持ってきたことからだった。秋夫さんはその1年後町内の西中学校の校長を最後に退職した。活動には絶好のタイミングとなった。今から12年前のことであった。
 奥さんの博子さんは、秋夫さんが奉職している間、水田3ha、りんご園50aを1人で耕作していた。トラクターでの耕耘、田植え、刈り入れもしていた。その疲れと、農薬、化学肥料の使用で、肝臓と膵臓をこわし6ヶ月入院、乳ガン、子宮筋腫にもなった。その後のEMとの出会いであり思い入れも大きなものがあった。お二人ともEMに出会ってから健康そのものであると言う。秋夫さんは、草にかぶれ、傷が付くとすぐかぶれるという皮膚病が有ったが、EMーXを飲んでから全く無くなってしまった。

活動の経緯
秋夫さんは退職後、奥さんと一緒にEMのボカシ作りと、EMを活用した減農薬栽培の取組だった。まず、サクランボとリンゴの糖度が驚くほど高くなったことで自信を得た。自信を得て、田圃や自家用野菜の栽培に取組み、家庭菜園へのEM活用を勧め、家庭菜園の仲間が増えていった。
博子さんは、平成5年(ご主人の退職1年前)十文字町消費者の会副会長をしていた。ダイオキシンが大きな問題になっていた当時、町の助成金を頂いて、生ごみ堆肥化の先進地であった野木町、EMを活用していた和光市を見学した。同じ年「地球を救う大変革」との出会いもあって、消費者の会で生ごみボカシ和えを始めた。その活動は、花いっぱい運動を主事業としていた町の婦人会組織8団体にも拡がり、町全体の活動として進んだ。
 市民運動の盛り上がりは順調だったが、行政マンは動かなかった。行政が動かなければ、有志だけの活動に終わり、町の仕組の中に入れていくことが出来ない。平成12年、行政への力強い働きかけをしていくために、仲間に押されて議員になった。(議員は1期だけしている)そして、前述したように、県のモデル事業として行政と住民が共同で取り組む「生ごみ循環利用システム確立」の取組が始まった。
平成14年9月の十文字町の広報誌に次のような記事が掲載された。「十文字町では、ごみ減量に於いて、県内トップクラスの自治体として評価を得ています。ちなみに、1日1人当たりのごみの廃出量を見ると735gで、県平均1047g、全国平均1100g(共に平成10年度実績)を大きく下回っています。このことは、ごみの分別やリサイクル活動に積極的に取り組んでいる町民の皆さんの成果であり誇りであります。私たちの次の目標は、生ごみを一切消却せず、堆肥化して再利用とする試みです。いま、家庭で、集落で、学校で、そして事業所で地球にやさしい行動が動き出しています。」
博子さんが議員になる1年前の平成11年、主人の力を借りようと思い、十文字町EM研究会を発会させた。EMボカシ作りを秋夫さんと二人で始めた。米ぬかは親戚や農協から頂き、油かすは購入してEMボカシを作り、会員や様々なイベントに、パンフレットを付けて無料配布した。
平成12年、モニター制度が始まってからも、1年くらいはEMボカシの材料は提供していた。それで役場として個人に負担をかけてはいけないと言うことになった。ちなみに、今年行われた、比嘉節子夫人の講演会の経費もみな負担している。中には、「商売でやっているのではないか」と、心ない声も聞こえてくるが、それにもめげず、積極的にボランティア活動を続けている。秋夫さんは、「私は公のお金を頂いてきたし、年金も頂いている。子供達には、人に奉仕する大人になってくれと教えてきたので当然のことをしている。」と言っていた。
平成12年、「資源循環システム確立」のモデル事業がスタートした時点で、コンポストやEMでボカシ和えをしている人は全世帯の20%に達していた。更なる世帯の増加と、ボカシ和えをした生ごみを資源として循環するため、都市部と農村部に分けて取り組みをした。
都市部は、市街地のモデル地区と学校給食センターの生ごみの回収をシルバーの活動で始めた。当初70世帯で始め、現在モデル地区に指定された世帯は180世帯である。
集められた生ごみは、町が運営する「ごみ堆肥化実験ハウス」で乾燥処理機と粉砕器で堆肥化されている。隣のハウスにはボカシ作りの作業所があった。
出来た堆肥は、当初野菜、果樹農家10戸がモニターとなり育った野菜、果物は、学校給食の1部で使われたり、直販所「安新鮮果」で販売され味の良いことなど好評となった。.
農村部では、「生ごみ堆肥化モデル集落」が設置され、8集落から始めた。モデル集落では、EMボカシやバケツを補助し、2年間繰り返し学習会を行う。2年たつと次の集落を募集する。モデル集落は変わって現在8つがモデル集落になっている。
平成15年、熊谷さん夫妻は、更なるEM活動の拡大を願い、EM活性装置1基を購入、公共施設の清掃や、学校プール清掃にEM活性液を無料で提供した。その甲斐あって、生活環境課に1基、(生活排水路の悪臭や汚泥の浄化対策、小中学校のプール清掃、米のとぎ汁EM発酵液作り、ボカシ作りなどに使用)農政課に5基(リンゴ、野菜など各部会に)設置した。
ただ、熊谷さんが心痛めていたことは、EMの活用に積極的に取り組んできた役場の担当者が合併によって転勤となり、EMのことがさっぱり分からない人が担当者となったことである。その為、平成16年で実験レベルのモデル事業が終わり、本格的活動に移るはずが、18年も相変わらずモデル事業を継続している。農業のモニターの交代も少なく、活動も何かと鈍りがだと言う。
秋夫さんは、西中学校の校長をされて居たでけあって、平成10年から農業体験学習の講師を務めている。給食残渣のボカシ和え、EMの活用による土作りに全学年取り組んでいる。その活動が町内の小学校4校、中学校2校に拡がっている。町内全校で「給食の残りから生まれた資源循環カレー」が出された時は好評であったという。
また、秋夫さんは、「ごみゼロ秋田推進協議会」(市民と行政が一体となった組織)の基にできた「横手平鹿地区ごみゼロ推進委員会」で活躍している。横手市内ばかりでなく、県南部の市町村からは、講師としての依頼が絶えず、出向している。特に、東成瀬村は、村挙げてEMの活用に取り組んでいる。村長さんがEMを買いに来ている。協和町、大仙市も町ぐるみで取り組んでいる。

農業への取り組み
農地3.5haの内、現在水田2.3ha、リンゴ0.5haを耕作し、0.7haは休耕している。作物を東京に住む孫に送ってやることを楽しみにしていた。水田は化学肥料を使わなくなって12年になると言うが、近くの慣行水田よりも充実した実りであった。リンゴは年4回の農薬散布までになった。農薬散布が年4回で済むことは画期的なことで、県の果樹試験場の場長さん(県の果樹ではナンバーワンの人)がちょいちょい来られている。場長さんは「熊谷さんは、10年先の農業をしている。本物の農業になるだろうし、これから拡がって行くだろう。大変なことをしている。」と言っている。また、果樹試験場に来た人達には見学を勧め、多くの見学者が来ている。そのリンゴを木からもいで頂いたが、水分たっぷりで味が濃く、甘さと酸味のバランスが絶妙であった。慣行のリンゴよりも糖度が高く、その為長持ちするという。地元の人達に認められていて直販で殆ど売れている。
ネズミの被害をうけた柿がEMでよみがえった

お二人は、EMのパワーの素晴らしさを再度確認したという。葉を落とさなくても色つきが良く手間が省けているが、それ以上に驚いたことは、リンゴの木の幹がネズミにかじられ木の皮が一回り全部食われてしまった。当然木は枯れると思ったが、EMセラミックスパウダーをEM活性液で練って張っておくと見事に回復し、リンゴが実っていた。
自宅の屋敷内にある柿の木も地表から1m位の処までそっくり皮が食われていたが、新しい芽が吹き出し、枝が伸びていた。この様子は、熊谷さん宅に来る多くの見学者に、花壇やダリア畑、EMのボカシ作りや活性装置などに併せて見学してもらっている。

おわりに
ブルーベリーを100本差して苗を育てている。これを増やして退職した人たちに呼びかけ楽しい会、夢のある会を作り、活動を楽しみたいという。退職した人が、夢を追いながら、楽しみながら農業に取り組む、これこそ健康に繋がる。そして、その人達のパワーで自分たちの住む故郷を大切にしていきたいと言っていた。それにはEMの活用に勝るものは無いのではないかとも言っていた。生き生きとしていて、楽しそうなお二人の話に引き込まれてしまった。


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