農業の醍醐味.57回


NPO法人関東EM普及協会 名誉会長
(財)自然農法国際研究開発センター 理事長
天野紀宜
「2007中国有機農業と自然農法国際フォーラム
開会式」前列最左天野紀宜顧問

はじめに
5月30日から6月2日中国青島を訪問した。「2007中国有機農業と自然農法国際フォーラム」への出席の為であった。今回は年1回行われているフォーラムの3回目にあたる。山東省臨沂市で行われた第1回フォーラムに継いでの訪問となった。場所は青島農業大学で行われた。
 このフォーラムの成り立ちについては、第1回目の記事で説明させていただいたが、簡単に紹介すると、(財)自然農法国際研究開発センターで受け入れた客員研究員を中心に、3ヶ月の短期研修生で構成されている。現在会員は70名になっている。
 中国に帰国してからのEMを活用した自然農法の試験研究、普及の成果を持ち寄って発表し、情報交換をしている。また、毎回比嘉教授をお迎えし学びも深めている。
 今回のフォーラムは、日本側から2題、中国から口頭発表5題、ポスター発表33題で40人の発表があった。EMを活用した自然農法の研究成果や普及状況が報告され、発表の内容も充実したものであった。

フォーラムの紹介
 日本側からの2題は、原川専務理事、徐会連理事の2題で、「日本の自然農法」「自然農法の理念と実践」と題して発表された。自然農法の考え方、その考え方を裏付ける研究成果が発表された。
 中国側は5題で、最初に臨沂市農業局研究員の李輝さんで、自然農法のモデル農場に於けるニンニクの病気対策と収量に対する比較試験の発表であった。映像と数値で大きな成果が上げられていることを発表していた。
 南京河海大学の邵孝候教授からは、食品残渣や畜産廃棄物のEMによる有効活用についての発表で有った。その堆肥の成分の分析、堆肥を活用した区とコントロール区との栽培試験の様々なデーターの発表であった。EM活用の効果を実証していた。
 吉林省農業科学院水稲研究所副所長張三元さんは、EMを活用した自然農法による水稲栽培の発表をした。様々なデーターを通しての発表の中で印象的だったのは、6年の実験の継続の中で土壌が育ち、化学性、物理性が確実に向上していることであった。慣行農業での試験研究は単年度の試験となるが、継続した中での変化というところにこの試験研究の価値が有ると思った。
 青島農業局技術担当副局長、史躍林さんは、EMを活用した蔬菜施設栽培という発表で、ほとんどの野菜でEM活用区とコントロール区ではEM区が優位性を示していた。
 最後に国家環境保護総局有機食品発展センター所長、肖興基さんは、中国有機農産物認証と題しての報告であった。肖さんは、以前IFOAMでの世界基準委員で、現在は南京エムロのお手伝いもしていただいている。報告は、中国有機農業と欧米を中心とした世界の有機農業との比較を様々な指標を通して発表していた。幾つか面白い質問があった。一つは有機農業の実施面積がオーストラリアについで中国は2番目であるが、これほど化学肥料農薬で汚染されている国で有機農業が出来るのかということだった。それは大丈夫との答えであった。二つめは有機農産物が慣行の農産物に比べて、ほとんどの農産物が4倍前後の価格となっている。高すぎるのではないかという質問に、慣行の農産物が安すぎるのだとの答えだった。なるほど、それは言えるのではないかと思った。市場が決める農産物の価格は農家にとって大変暮らしにくい価格となっている。日本でも農家4人の平均年収は470万円という。農家4人の年収がサラリーマン1人の平均年収にも届かない価格の設定になっている。米も現在の価格で茶碗1杯のご飯の値段は15円位だという。ご飯10杯がペットボトルのお茶1本である。それでも消費者はもっと安くと願っている。中国に於いては、最近は需要よりも供給の方が大きくなってきていて値崩れ傾向が出てきているという。 
ポスター発表風景

肖さんに休憩時間に質問をさせていただいた。現在世界的な潮流として、遺伝子組み換えなど経済性・効率性を優先する大規模農業化の方向性と、経済性・効率性よりも地域の自然や生物の多様性を優先した地域農業を重視する方向がある。日本は昨年「有機農業基本法」が成立したが、大規模農業の方向性の方が強い。中国ではどうかと聞いてみた。広い中国では当然ながら大規模農業の方にずっと多くのウエイトかけている。ただ日本と違うところは、国が取り組む有機農業圃場があり、技術開発が行われているところだという。
 特定の除草剤や化学肥料に依存した遺伝子組み換え種子は爆発的な勢いで食料輸出国や開発途上国に普及し、世界の食糧の多くを供給するようになってきている。これまで多様な農業形態、多様な食文化によって成り立っていた世界の食糧事情は、数社の遺伝子組み換え種子を握る多国籍企業にコントロールされつつある。しかし、経済効率性を農業に要求するには限界がある。太陽や水、土といった本来の自然の生産力に依存した農業は根本的には生物多様性によって成り立っている。此の様な流れの中で、自然農法を進めなければならないと言うことは参加者皆の共通意識であった。
 フォーラムを重ねるごとに内容は充実してきている。ポスター発表を含めて情報が拡がっていくことによってEMの活用技術や自然農法は着実に拡がっていく。そのための基盤が出来たのではないかと思う。また、日本に招いた農業研究員、管理者だけでなく、もっと門戸を開いたフォーラムにする時が来ているのではないか。内容も充分充実したものになっているのではないかという意見も出ていた。
 比嘉教授の講演は、EMの基本的な3つの働き、即ち、抗酸化力、非イオン化、抗酸化波動についての解説と、特に要望のあった水産(青島は水産が多い)と重金属に於ける土壌汚染の改善(北京からの要望)について触れられ、事例の紹介があった。
 印象に残ったのは、EMは生きもの、その能力を普通人のようにに発揮することもあれば天才的に発揮することも出来る。EMを天才に育ててくださいと言うお話であった。
 EMは生き物である。常に成長している。有機物の活用も含め、創意工夫は欠かせない。科学技術のようにマニュアル通りにしていれば良いというものではない。その点日本に於いては様々な情報が交換されるが、中国に於いてはこれからの充実が大切になると思う。フォーラムの理事との懇談でこのことをお願いしてきた。
 比嘉教授の講演後の質問は次から次へと出されたが、(財)自然農法国際研究開発センターの答礼の宴会の時間が来てしまい途中で終わりとなった。

現地見学
現地見学は、水産の多い青島で、市が支援している水産養殖場を見学した。主にアワビとナマコの養殖で、卵をふ化させ、幼虫に育てて水産業者に販売している。EMの実験はここではまだであったが、フォーラムの発表の中にもあったが、史さんがEMを活用した水質浄化の実験を始めていた。もう1カ所、やはり市が支援している有機農業による農業公園を見学した。様々な野菜から熱帯果樹まであった。大勢の子連れの人達で賑わっていた。EMを活用した自然農法の圃場は時間の関係上行けなかったが、今回の見学はいずれも市が関与したとこれであり、これから取り組むと言う処であった。

青島農業大学でのフォーラム
 青島でのフォーラムの開催に際しては青島農業大学の王然園芸学部長、青島農業局技術担当副局長(青島農業局の技術部門のナンバーワンで今回の発表者)史躍林さんの尽力が大きかった。いずれも1年間の客員研究員として来日している。王さんがフォーラムの事務局長となり、史さんも事務局を引き受け、実務は青島農業大学のスタッフが当たっていた。会場、現地見学の車の移動手配始め、政府主催の歓迎宴会、現地視察以外は答礼の宴会も含めて全て青島農業大学で行われた。経費の節減にも繋がった。

歓迎宴会
 青島に着いた30日青島市城陽区政府主催の歓迎宴会がもたれた。出席者は、北京から中央政府の関係者、山東省からは省の高官で、おなじみの黄人事局長、青島政府代表、青島農業大学学長、副学長等で、フォーラム参加者が出席して行われた。青島市城陽区長さんの挨拶、私の答礼で始まった。(財)自然農法国際研究開発センターの答礼宴会では出せないような豪勢なご馳走であった。

EMの流通
 今回の訪中にはもう一つの目的があった。中国には、EMと言って販売されているニセ商品は200社を越えるという。世界中どこにもコピー商品はあるが、ここまで多いのは珍しい。
 此の様な中で、コピー商品を販売している人たちをも含めて、中国農民にとってより良い流通がどうしたら出来るかについて話し合いをした。フォーラムの合間合間に関係者との話し合い、実務者の話し合いの積み上げによって一つの方向性を見いだすことが出来た。
 コピー商品は安いが、実際の効果はEMとは大きな差がある。現在コピー商品を使っている人たちもEMに戻ってくる人も多くなっているという。実際に、EMの製造量もコピー商品が大量に出回る以前の水準に戻りつつあるという。
 比嘉教授は次のように言っていた。「安いのでEMのコピー商品を使う人は多い。しかし、その違いは歴然としているのでEMに戻る人は多い。その意味では、コピー商品もEM普及の一翼を担っているようなものだ」と。

おわりに
 31日本番のフォーラムは8時20分から開会式,記念撮影が行われ、10時から発表に入った。私の挨拶から始まり、青島農業大学学長、山東省人事局長黄さんの挨拶と続いた。
 山東省政府として、日本での人材の受け入れ、また、EM活用技術、自然農法による技術支援には深い感謝の念を表していた。今後の期待もしていた。
 今回のフォーラムには中国の多くの省から参加していた。そして、客員研究員として来日した時よりも多くの人は農業局や各研究機関、大学等で高い地位についていた。そのことが印象的であった。様々な今後の課題はあるが、客員研究員制度とフォーラムの開催というセットによって、海外普及の一つのモデルが出来ていた。


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