農業の醍醐味.58回


NPO法人関東EM普及協会 名誉会長
(財)自然農法国際研究開発センター 理事長
天野紀宜

はじめに
 ラベンダーの花が甘い香りを漂わせ、ジャガイモの花が咲き、トウモロコシ、大豆、小豆が勢いよく生長し、生命が蘇り輝く7月の北海道を訪ねた。7月17日、18日は石狩平野の西部、札幌から北東に車で約1時間のところにある新篠津村を訪問した。
 新篠津村は、EMを活用した有機農業・自然農法・特別栽培など環境保全型農業に取り組んでいる。また、村の小・中学校では授業に有機農業を取り入れ、福祉作業所を含め、村を挙げて自然循環型の村作りに取り組んでいる。
 その中心的役割を果たしているのが新篠津EM研究会だ。約100名のメンバーで勉強会や情報交換会を行い、様々な活動をしている。
 村の農家戸数は280戸で、有機JAS認定農家は28戸、特別栽培(国が認定し、周囲の農家の化学肥料、農薬が5割減)や北海道が認定しているイエス・クリーン農業取得農家(道が認定し、周囲の農家の化学肥料、農薬が3割減)は約70戸となっている。北海道の大型農家の中で有機農業をはじめ・環境保全型農業に取り組む人が全農家の4割近くを占めている。
 その農業を可能にしているのが、新篠津クリーン農業推進センターである。平成6年に設立されたセンターは、土壌及び作物の分析理化学機械、実験室の設備に加え、EM(有用微生物群)ボカシ製造機、EM活性液製造装置を導入している。また有機・減農薬栽培試験及び交流を目的とするほ場を設置し、平成7年から水稲、畑作(野菜)を中心に年間約10課題についてEMに関する試験を実施し、いずれも好結果が出ている。そのセンターを担当しているのが、2007年の「有用微生物応用研究会第12回東京大会」で発表した堀下弘樹さんだ。堀下さんは、農家の土壌分析をし、EMボカシの適正な使用量等を指示している。EM活性液、EMボカシの品質を保ち、更に良いものになるよう取り組んでいる。そのことが各農家の収量、品質の向上に繋がり、環境に負荷を与えない農業を支えている。

クリーン農業推進センターと役場の訪問
 最初にクリーン農業推進センターを訪ねた。そこにはEM活性液を培養する3tタイプのEM活性装置が2基、1.5tタイプが1基あり、年間120tのEM活性液を培養している。それを農家が持ち帰り20倍に活性させ、そのEM活性液を100倍にして散布しているが、フル稼働しても足りないくらいだと言う。その量の多さに驚かされる。その他に300Lタイプが1基あり、それは福祉作業所が使用している。これもフル稼働しているという。
 また、EMボカシを攪拌、発酵させる2tの装置が2基と1tの装置が1基ある。11月の仕込み時になるとフル稼働する。EMボカシは5月に散布が始まる。仕込みは50〜60℃の温度をかけて1昼夜発酵させたものをそれぞれの農家が1tコンテナに詰めて持ち帰り5月頃まで納屋で熟成させる。このお世話を堀下さんがしているが、2年前から農協がお世話するようになり文字通り村ぐるみの取り組みとなっている。
 クリーン農業推進センター訪問後役場を訪問し、東出輝一村長と懇談した。村長は「環境保全型農業を含め有機農業の推進は時代の要請である」と力を込めて語っていた。村長の尽力で今年3tのEM活性装置を1基を導入したが、予算は北海道庁予算と村で半々出資している。

早川仁史さんへの訪問
     天野名誉会長(左)と早川仁史さん

新篠津村の農家は平均十数haの大型農家である。自然農法に取り組むには技術や経営に対するそれなりの覚悟が必要である。しっかりしたポリシーと技術がなければ取り組めない。そんな新篠津村の中でも特に異彩を放っているのが早川仁史さんである。堀下さんと共にEM研究会の牽引役にもなっている。そんな早川さんを取材させていただいた。
早川さんは25haの農地を奥さんと二人で耕作している。水田13ha(有機JAS
9ha、特裁4ha)大豆5ha(有機JAS3.4ha、特裁1.6ha)小麦4.5ha、施設メロン14棟のビニールハウスで580a全て有機JASを取得している。1haは自家野菜を栽培している。

メロン、大豆栽培における慣行栽培との比較
 早川さんは大型農家だが慣行農業を超える成果をあげている。そのことから紹介する。
 メロンは17連作、EMを導入して15連作となる。慣行農業では考えられないことである。メロンは普通1株に4玉着け、たまに木の元気なところは6玉着ける。秀品率は慣行栽培の平均は2.7〜2.8玉だが、早川さんのところは3.9玉で、1株に4玉の玉揃いし、ほとんど収穫できると言う。価格は市場の倍くらいで売れ、市場出荷もしているがセリにかけるのでなく、相対の注文制になっていて市場でも倍の価格で売れている。
 注文販売では株数×4で計算できるので、実る前に契約販売が出来、あとは収穫して出荷するだけである。
大豆も有機で栽培して一部4連作のところもあるが9連作になる。これも驚かされる。昨年は10aで360kgの収量があった。地域の平均は300kgで新篠津村は大豆日本一多収の地域である。普通10aで200kg前後という。値段は、慣行栽培の大豆は60kg7000円だが、早川さんの有機JAS大豆は26、000円で広島県、福井県の醤油屋・味噌屋さんに出している。農業を楽しみながら慣行栽培以上の収益を上げている。

メロンの観察
 メロン収穫期のハウスで説明をして頂いた。透明のビニールマルチの下に赤い光合成細菌が出ているのがハッキリ確認できた。この光合成細菌が出るのも収穫前1週間位で収穫するとサッと消えてしまうと言う。メロンには品質葉と肥大葉がある。光合成細菌は品質葉の根のところだけに出ている。品質を支える葉に繋がる根が収穫期に窒素を吸いすぎると品質が落ちてしまう。そこに出た光合成細菌が窒素を餌にして消化してくれるという。肥大葉は窒素をしっかり吸収している。慣行栽培では窒素の量は品質葉、肥大葉とも一定しているので玉が大きくなれば品質は落ち、品質が上がると玉伸びが落ちる。光合成細菌は実に見事に働いている。また、メロンの玉が着いている葉が苦土欠乏症となって綺麗に枯れあがるのが美味しいメロンで、それが収穫期である。メロン自身が収穫期を教えてくれているという。自然は大きな力を発揮し、私たちに様々な形で語りかけてくれているという。15年前、EM活性液とEMボカシをベースとした栽培を始め、今も変わっていない。(技術の詳細は「EM活用事例集2000」に掲載されている)
 その年は幸いにも天候にも恵まれ好成績を得た。虫が出ることを前提に出たら諦めようと思ったという。2年目からも好成績は続き、15年間同じ栽培の仕方を繰り返している。虫はハウスの周りに草を生やし刈り取るタイミングを誤らなければ1割程度の食害ですむ。葉ダニが出ても糖度は落ちない。うどん粉病は収穫するまでは少し出るくらいで、収穫するといっぺんに出てくる。EM技術は進化しているが。早川さんはメロンの栽培方法は変えていない。それは自然が応えてくれているのだから変える必要はないと言っていた。
 自然にはその土地の風土にあった作物は立派に育てる力があること。生命を育てる偉大な機能・能力があることを確信し、自然にゆだね、自然に対する畏敬の念を持って農業を楽しんでいる。自分が育てるというような肩に力が入った様子はなく、観察を楽しみ、どんなことにも明るく前向きに捉える早川さんの心が伝わってきた。

大豆での学び
早川さんと大豆畑

大豆は、秋に収穫残渣を鋤込み、春は畝たてをして種蒔きをする。播種前にボカシを施要すると虫害を受けるので本葉が出てからEMボカシを10a200kg施用する。これだけでは地温も低く窒素の発現はごく僅かであるが慣行畑の大豆よりも葉は青々としていて勢いが良い。根を抜いてみると根粒菌がびっしりと付いていて空気中の窒素をしっかりと固定しているのが分かる。EMボカシは根粒菌の働きを助け、収穫期までしっかりと働いている。慣行栽培では根粒菌は少なく、その根粒菌も収穫期には黒くなって働いていない。「我が家の大豆は天然エネルギーの大豆です」と早川さんは話していた。
 大豆の葉は幾分食害されていた。これは大きな青虫が付いて葉を食べるのだと言う。近所の年寄りは「貴方になら言えるが収穫にはあまり影響しないよ」と言ってくれる。おじいちゃんも同じことを昔言っていた。やはり収量にはあまり影響されず、品質、収量とも慣行栽培に勝っている。どんな虫でも出れば皆殺しにしてしまうのではなく、虫が出たからと言って一喜一憂しないで、事実を見つめていくことの大切さをここでも話していた。ただ、初期段階でアブラムシが出るとワイ化病にやられるので今年は、「EM7」2回、「EM活性液」3回の散布をしている。(技術の詳細は「EM活用事例集2004」を参照)
 連作障害が出るだろうと言われ続けて9年目になる。「継続は力なり」と言うが、連作が可能であることの実証を今後15年も繰り返せば自分の百姓人生は終わり、思いが叶うだろうと言う。そのことが比嘉教授への恩返しになるのではないかと言っていた。後は息子が継いでいくだろうとも言っていた。
 大豆栽培は仲間と一緒に取り組んでいるが皆結果が違う。自分の技術は全て公開している。公開しないとEMが働かないのではと思っている。ただ、ボカシ作りだけは別々にしていた。EMボカシの品質は大きく影響するからそれが原因の一つではないかと言う。
早川さんは、初霜が降りるのを待ってその日に仕込みをする。そのわけは、霜が降りる頃には雑菌の働きが抑えられる。その上、初期温度を確保した上で寒い冬の間じっくり熟成させると寒さに強い菌が繁殖する。北海道の夏は寒い日が続くこともあるが、その寒さでも充分働くことが出来るEMボカシ作りが大切なことだという。ただ、ほかに結果が違う原因を早川さんの話しから推察すると次の様になる。既存の知識を持っていて、そのたがをはずせないことである。技術に囚われ、目先のことに囚われると心は小さくなる。目で見たことを優先して創造的な、腹を据えた農業に取り組めないからである。

農業への取り組み姿勢
 早川さんが中学3年の時、乾燥場から出火して母屋まで焼失してしまった。早川さんが燃えている母屋に飛び込み、近所の人と持ち出したのが仏壇であったことを鮮やかに覚えていると言う。そこには数百年続く過去帳があり、早川家の過去と本家の印を残すことが出来た。その火災も重なってお父さんの借金が当時1億円あった。
 大学受験に失敗し、予備校に行くお金がないので家で勉強した。26歳の時、7,500万円の借金と共に家を継いだ。姉、妹二人の4人を育てる為の借金だったので恨むことはなかった。いつつぶれるかと噂され、つぶれても当然のあまりにも大きな借金と、その借金を返すために農産物を売ろうとすると売れないことが分かったことは幸いだったと言う。一時は途方に暮れたが、そのことが借金のことを考えるよりも、顔の見えるお客さんの為に一生懸命農業に打ち込もうと思えるようになった。お客さんが求めるもの、売れるものを育て、300戸の人の食を保証し、健康を担うことによって1戸10万円頂けば充分な経営が出来ると考えた。このことが後に現実のものとなっていった。
 26で家を継ぎ、27才でメロン栽培に取り組み、29才でEMに出会い、それ以来メロン栽培は15連作となる。借金は、心が定まると同時に完済へと繋がっていった。現在は、2人で25haを耕作できるだけの大型機械も整備されていた。
 早川さんを頼って自然農法に取り組みたいという人は増えてきているが、次のような人はお断りしているという。一つは、有機農産物が高く売れることを目的としている人。もう一つは生活に余裕が無く農業に取り組んでいる人。農業に取り組むには2〜3割の遊び心が無ければいけないという。

おわりに
新篠津村は泥炭地である。農業にとっては条件の悪い土地と言われているが、EMを活用すると泥炭は宝の山となる。ご先祖様への感謝を忘れない。その新篠津で農業を営み、節々の年には天候に恵まれ、4年前の冷害で水稲に大きな打撃を受けるところを、偶々比嘉教授と出会いそれも乗り越えた。私はただ運が良いだけだと言うが、早川さんは、移り変わる自然を味方に出来る術を心得て居るからなのだと思った。

以上

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