近代科学の祖とも言われるダーウィンは、生物は、弱肉強食、優勝劣敗、適者生存等により、自然淘汰と突然変異によって進化するという進化論を説いています。ただ、最近では、適者生存は自然が示すところでしょうが、生物は、弱肉強食、優勝劣敗によって進化しているので無く、お互いに共生し、助け合いながら共生的に進歩発展していると言われ始めました。競争ではなく、共生によって進歩発展しているというのです。即ち、競争の社会で無く、共生の社会の重要性が説かれ始めました。 話は戻りますが、いかなる生命も、生態系の中での生命による物質循環から外れるものはありません。それ故、自然農法では、自然に存在するものには、全て存在する意義と意味があると捉えているのです。また、全ての存在を意義あらしめるのが生態系の中での人間の役割であると創始者は言っています。 競争を生んだ近代の資本主義 ただ、私たちは、その反対の方向へ歩んでいるのではないでしょうか。その大きな要因は、現代社会を特徴づけている近代科学と、競争の社会を作り出しているグローバルな経済社会にあると思います。 近代科学は、大きくは二つの柱、自然支配と要素還元主義に特徴づけられています。それ故、自然支配という考え方は、人間と自然との繋がりを断ち、要素還元主義によって、共同社会から独立した個人と言うように、地域での繋がり、家族の繋がり等、様々な関係性が断ち切られてきました。 ただ、現在科学からは、要素還元主義から発達した近代西洋医学だけでなく、社会、環境、人間等々その繋がりを大切にした統合医療や生態学等も生まれてきています。その意味でも、自然農法は、自然と人間、人と人とを繋げていく新しい科学であると思っています。 また、近代科学の発達と共に発展してきた資本主義は、グローバル化し、金融資本主義に至って、国の壁が低くなると同時に、経済中心の価値観が拡がり、お金こそが正義、競争に勝つことが正義となり、お金の循環によって生活始め、全てが成り立っていくという経済システムを根底とした社会を作り上げました。その結果、お金に換えることの出来ないものの価値は薄れ、競争社会、格差社会が生まれました。 お金の循環社会から自然循環社会へ 我が国の、ものつくりの根底には、動植物だけでなく、全てのものに生命があると捉えてきました。例えば、抹茶茶碗には、作者の生命が宿り、その茶碗を使う人の生命が宿ると捉えてきました。全てのものつくりにおいて生命を吹き込んで来たのです。農業も、作物だけに生命があるのではなく、土や道具にも生命があり、農業は、生命を生かし、生命を育てることと捉えてきました。 特に、自然農法では、自然の中で、生命の恵みによって生かされていることに感謝すると共に、生命の恵みをより豊かなものとして、人様にお返ししていこう、その輪を拡げようとしています。 しかし、グローバル経済社会では、お金中心、唯物的価値が優先しました。そして、自然の中の一つ一つの生命の尊さが忘れ去られ、生命の価値が薄れていきました。その結果、生命に対する畏敬の念、自然の恵みに対する感謝の心、自然の意思そのものである思いやりの心等が薄れました。 また、グローバルな経済活動に有利な土俵を作るには、国の壁が障壁となる為、自由化、民営化や規制緩和等が進められると共に、国や地域の風土に合った生活様式、伝統文化等の国や地域の特徴、人と人との信頼関係、助け合い等、人々の繋がりは薄れさせられました。GDPには計算されない様々な豊かさは失われていきました。 私たちは、お金の循環によって生活が成り立つという社会から、自然循環を主にした上で、経済社会を築き上げていかなくてはならないと思います。
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