自然尊重の社会システムに 5回


自然の進歩発展と共に生きる
NPO法人関東EM普及協会 名誉会長
(財)自然農法国際研究開発センター 元理事長
天野紀宜
関東EM普及協会の理念


次に取り組んだのが、EM普及協会がどこへ向かって進んでいくのかという理念を示すことでした。また、生き物であるEMを活用するには理念の共有が欠かせないからです。当初話し合いをし、理念を大筋以下のものとしてまとめました。
 

自己責任とボランティア精神による共存共栄社会の構築

基本テーマ
大自然の生命を大切にした自然循環型地域社会作り
地域作りの実践課題として、モデル地域作り等を挙げました。
自己責任とボランティア精神による共存共栄社会の構築

自己責任というと、グローバル経済の社会の中で、競争に勝つのも、負けるのも自分の責任と捉えがちですが、ここで言う自己責任は、何者にも頼ることなく、自立できる個人のことです。共同体を作っていくためには、自立した人間同士が個性を認め合い、補い合い、共同していくことが大切となります。
経済的、物質的な競争に勝つには、負ける人を踏み台にしなければなりません。再チャレンジの道を開くと言っても必ず負ける人は出ます。また、物質の競争に勝つことが正義となると、誰もが持っている個性を生かすことや精神的な価値は忘れられがちともなります。
共存共栄社会を築いていくには、地域社会という共同体の中で、その共同体の倫理を基に自己の向上を図り、誰もが持っている、かけがえのない個性を生かし合い、ボランティア精神、思いやりの心が息づいていることが重要視されなければなりません。

次に共存共栄の社会について考えて見たいと思います。
 
共存共栄の社会とは、自然そのものの姿でもあるのです。大自然、即ち、絶対の自然(拙著『自然から学ぶ生き方・暮らし方』p10〜13参照)は、悉く調和していて寸毫の不調和はないのです。「不調和が生じれば、調和した姿に戻そうとする力が働く、それが大調和である」とのように創始者は言っています。この大調和は、共生と自己制御によって保たれているのです。

人間以外の動植物は、生命あるものが生命あるものを活かす仕組み、営み、即ち、共生と、自然に自ずと具わっている我慢できる自己制御によって共存共栄しているのです。
例えば、百獣の王ライオンが強いから最後は皆ライオンになってしまうかと言うとそうはなりません。お腹がいっぱいになればそれ以上の狩りはしません。豚は何でもがつがつ食べる代名詞のように言われていますが、お腹がいっぱいになれば自己制御機能が働きます。どの生き物も同じです。自然の中では、共生と自己制御によって一つの種だけが突出するのでなく、地球と自然の共進化の基で、共存共栄のシステムが出来ているのです。
人間だけには、自ずと備わった自己制御機能はないのです。ローマは美食によって滅んだという説があります。当時、世界中から集めた美食を楽しみ、これ以上食べられなくなると、吐いてまた食べたと言われています。欲望に歯止めがきかなくなってしまったのです。

グローバルな経済社会に似たところがあるのではないでしょうか。いくら稼いでもこれで良いという処はありません。競争に勝てば、使い切れない何兆円も稼ぐ人もいれば、その日の食べものが無く飢えている人も多くいます。
グローバル化した資本主義の世界では、資源は無限、市場は無限という前提に立って止まるところを知りません。グローバル企業の経営者にとっては、目先の株価が重要で、国益や地域の利益よりも、今企業の収益を上げることが大切で、経営している個人の資産の増減が大切なことです。しかし、資源が余っている時代から、資源が不足している時代を迎えて、数十年、百年単位で考えた時このままの社会体制が続くとは思えません。

では、人間には自己制御が働かないかというと、そうではありません。他の生き物にない、人間だけの自己制御機能があるのです。それは、人間には愛が与えられているのです。自然の意思そのものです。(拙著『自然から学ぶ生き方・暮らし方』p73〜75参照)私たち人間は、自然の意思に沿おうとする努力、愛によって自己制御が出来、自然の意思そのものである共存共栄の世界は生まれるのです。

以上のように、共存共栄の社会は、競争をベースにしたグローバルな経済社会からは生まれないのです。このままの社会体制が続けば、格差社会は益々拡がっていくのではないでしょうか。自然の中で生かされている私たちは、競争社会でなく、格差社会でもない、共存共栄の社会を目指さなくてはなりません。