特集 環境教育
「えむえむ関東96号」より
=EMネット茨城=
夢の続きを見たい 鮭の孵化・稚魚放流事業の取り組み
茨城県鉾田市 西台虹の友 市村はつゑ


平成7年12月から生ごみ減量化に取り組み「EMボカシ」づくりを始めたお母さんたちの集まりから「西台虹の友」の活動が始まりました。EMボカシは、生ごみを減量し堆肥にする。そして水の浄化・川の浄化にも役立つらしいと知り、半信半疑で取り組んだ鉾田川の浄化活動でした。その後、EM活性液の投入、EM団子でヘドロ減少、EMせっけんづくりから家庭からの浄化活動へと、そして、鉾田市の14の小中学校でのEMによるプール清掃の取り組みにより、鉾田川はとてもきれいになりました。(NPO法人関東EM普及協会第2回有用微生物応用エコ活動発表大会で報告)。

 
 2010.3.11鮭稚魚のはじめての放流 鉾田市立南中学校 
子供たちも喜んで取り組んだ
鉾田川から鮭の稚魚の放流

 EMネットちばの役員さんから、こんなにきれいになった鉾田川に鮭の放流をすすめられました。
 卵(イクラ)から孵化させ、稚魚を育て放流する。成魚となって3~4年後に生まれた(放流した)川に戻って来ると言うのです。このお話をいただいた時には「エーッ?? 鉾田川に鮭?」思いもつきませんでした。戸惑いながらもビックなお話に心躍りました。   
 でも、途中長い距離の北浦を通って逆水門を通過し無事海に出られるか心配です。漁業組合長さんに聞いたら「いや 大丈夫じゃないか。今までも 年に7~8匹は網に掛っているよ」と言うのです。
 逆水門はどうなのか心配していたら「平成22年3月に魚道が完成する」と大々的に報道されました。なんとグッドタイミングな事でしょう。安心しました。
 教育長さんに話したら「夢があっていいですね」。そう言われてやる気が出てきました。
 初年平成21年度は様子もわからないのでさらりと希望校(8校)のみにして1550粒購入、3月無事放流しました。取り組んだ学校も子供たちも喜んでくれたので自信がつきました。

EMと枯葉のコラボで脱窒効果

見た目にはきれいになった鉾田川ですが、窒素だけは多い状態です。3~4年後に無事戻って来るであろう鮭のためにも今以上に川をきれいにしなくては、と脱窒の実験を鉾田川で実践することにしました。
 EM団子と枯葉・EMセラミックスを二重にしたタマネギネットに入れトラロープに縛り付ける。川幅いっぱいにセットし浮き上がらないように両サイドに漬物石を重石代わりに縛り付けました。この地点は両側コンクリート護岸で立ち上がっている街の中です。8月21日5連セットが完了しました。
 水量の多い所ですが、すぐ結果が出てビックリです。お天気も続いたので良い結果につながったとは思います。
その後、大雨、豪雨など続くと一進一退ですが回復力はすごく、効果のあることが実証されていると驚いています。
 実験装置が、一寸でも浮いていると、大雨で流されてくるゴミを止めてしまうのでその除去に手間取りました。次回は両サイドだけではなく間、間にも重しをしばりつけようかと思案しているところです。
これらは、平成22年度茨城県市民活動支援事業の助成金を受け行いました。

   
 実験中の看板 「とんでけ窒素」  EM団子と枯葉とEMセラミックスを二重にした
タマネギネットにいれた脱窒素セット
   2010鉾田川「旭橋」パックテストによる水質検査
月日  アンモニウム態窒素  亜硝酸態窒素   硝酸態窒素 
 8/21  1  0.5以上  10以上
 9/2  0.2  0.2  5
 9/7  0.2  0.05  5
10/3   0.2  0.02  5
 11/5  0.2  0.2  10
検査者 西台虹の友 単位PPM 
 鉾田川にセット


鮭の稚魚放流2年目の挑戦

2年目の今年はやっぱり数で勝負しよう。
学校も8校から10校となり、民間でも育ててもらおうと声を掛け3500粒育てました。鮭はイクラ状態から、やがてオレンジの袋(さいのう)をつけて生まれチョロチョロと動き回って愛くるしくかわいいのです。一ヶ月間さいのうの栄養で育ち 、袋がとれるとエサを食べ始めます。グングンと泳ぎ出し、あっという間にサケの模様の入った稚魚は5cm~7cmになり、放流です。

平成23年3月11日 14:46東北太平洋沿岸巨大地震発生・・・今年の放流は受難
その時あなたは何を・・・。 何と私は、川の上でした。
この日は朝から忙しかった。午前9時に鮭の水槽が置いてある北浦湖岸にある環境センター「エコハウス」に行きました。不登校児の相談センターも併設されています。その子達が楽しみに育ててくれ、この日放流の予定になっていました。交代で水槽からバケツに移し、近くの長茂川に無事放流しました。
次に町内の田山さんの水槽をのぞき、大きくなっていたので14日(月)に子供達と放流する事にし午前10時に迎えに行く約束をしました。
家に戻り、300ℓのEM活性液を車に積んだタンクに汲み上げ13時約束の大竹小学校のプールに投入しました。その後、市内のガソリンスタンドで給油したのが丁度14時。ここにも鮭の水槽があり、様子を見て「14日OKだね。」「放すのがおしいよ~」そのすぐ近くが鉾田川なので、14日の放流地点のふれあい橋を見に行きました。
川の汚れが気になり、さらに上流の4つ目の橋に来ました。そこから20m位離れた所の土地改良区が設置した配水機場のコンクリートの上に来た時です。コンクリートが揺れる。変だなとは思ったのですが地震とは気が付かず土手へ下りてもまだぐらつく。アッ目眩かな、血圧でも上がって具合でも悪くなったのかしら、いやこれは大変、地震だ。あわてて、草の根もとにつかまりやっとの思いで土手にはい上がりました。止めておいた車を見たら、嵐の中の小舟のように横に大きく揺れていました。川に落ちてしまうのでは、電線が大きく波打ち電柱が倒れてくるのではと思いました。「とにかく、川に落ちなくてよかった。車もこわれなかった」あわてて家にもどりました。
 余震の続く中、「市村さんどうしよう」との電話。瓦や壁が壊れた家の中でも無事だった鮭水槽がありました。3月14日15日にかけて一部陥落した道路、くずれかけた河川敷をさけ、ドキドキしながら兎に角4軒分を預かり無我夢中で、一人寂しく放流してあげました。平沼石油店と鉾田南中学校では水槽5つのうち2つの水槽は落下して受難してしまいました。 3月29日、小さかった為最後の放流となった高根澤さんは、余震が心配で避難袋を背負っての放流となりました。
 まだまだ余震が続いています。東北地方に比べたら、何も言えなくなってしまいますが、どの家を見ても屋根にブルーシートが乗っています。ブロック塀、大谷石塀はほとんど崩れ、焼却場の瓦礫の山は大変なものでした。
 家も道路や橋も町中が被害を受けて、そんな中でも生き残って巣立ったサケッ子達。この先も大変だろうけれど、必ず何匹かは戻ってきておくれ。楽しみにしている子供達いや大人達も沢山いるのだから。夢の続きを見せておくれ。せっかく、やりかけた事業なのでこれからも続けたいと願っています。
 でも、この大震災、原発事故。鮭の親元、福島県の木戸川漁港の皆様への不安がよぎります。鈴木孵化場長さんとやっと連絡が取れて「津波で避難したものの、5分遅かったら危なかった」と聞かされ、思わず声が詰まっていました。
福島第一原子力発電所からも10km圏内で当分の間近寄れないと思われます。
早く終息して町が復興し漁港再開が出来ることを祈るばかりです。
東北、関東のみならず、日本中が危険にさらされているといえるでしょう。
でも、幸い、私達にはEMという救いの業がありました。いろいろ効果が期待できます。 EMを、これからの復興再建の足掛かりにしていければと思っています。

     
 2010.12.6鮭の卵をいただいた木戸川漁業協同組合    3.11東日本大震災にも負けず生き残った田山さんの
鮭稚魚  2011.3.14に放流した
     
 2010.12.15鮭の卵    鮭の稚魚放流風景(涸沼に注ぐ大谷川)
全校生徒1人一匹放流しました2011.3.1鉾田市立旭北小学校
     
 2010.12.19鮭の孵化  

 鮭の稚魚放流風景(鉾田川)
2011.3.6荒木田さん家族と仲間

     
 2011.1.7さいのうを付けて泳ぐ鮭の稚魚     鮭の稚魚放流風景(鉾田川上流七瀬川)
2011.3.9鉾田市立徳宿小学校3年生