生ごみの有効利用
 
「えむえむ関東98号」より
=EMネット茨城=
2011.1.20牛久市で家庭生ごみ堆肥化実験スタート
子供たちの実践が手本に
NPOエコライフ 川谷睦子

「EMで」に バンザイ!  その1
 

調理くずや食べ残し、いわゆる生ごみの有効活用を願うとともに、併せてEMで環境を良くしていきたいと活動を始めた者にとって、地球温暖化防止と資源活用の有効策として、身近な家庭生ごみの回収・堆肥化が、行政の施策として実現されることは長い間の夢でした。
例えそれが、期限付き実験であっても、また、EMでなかったとしても、市が回収・堆肥化に取り組んだだけでも、即ち、可能性が兎にも角にも開けたことが、大変嬉しい出来事だったと思います。
でも紆余曲折、いろいろ検討した市の最終結論が「EMでの回収だった!!」。正直言って、本当に嬉しかったです。
現在、実験地区の参加世帯数は約500。牛久市全世帯数の30,000からすると、微々たるものですが、始めの1歩であれば、まあまあの数ではないでしょうか。

   
 ボックスに生ごみを入れる実験参加者  生ごみの回収風景

バンザイ!  その2

実はNPOエコライフにとって、この決定が嬉しい理由は他にもあります。
それは、10年前から実施している市のもう一つの施策で、本会が指導に当たっている環境教育「学校給食ゼロエミッション」に弾みがついたことです。
ゼロエミッションは、やがて市民となる子供たちに「いのちを育む食=給食の食べ残し」を‘ごみ’にしないで、再生可能な循環する貴重な資源だということを、「子供たちの共通の場=学校で、体験を通して学ばせたい」という構想の下に、市が企画・立案しました。特に小学校では、この意図にそう教材として「EM」が採用されたため、本会に指導が委託されたので、微力ながら地域のパートナーとして、当初から協力させて戴いて居ります。

 
学校に行ってみて分かったこと   その1

 
学校というところは、文科省の教育指導要領に基き教育がなされる場所ですが、教育を行なう教師は、都道府県が採用。各市町村に派遣するという形をとり、その掛かりは派遣先の市町村が負担しているそうです。つまり、国(文科省)、県、市町村の教育委員会と地方自治体が其々を分担し合っていても、市が求める独自の教育は、教師がそこに教育的意義や共感を覚えなければ、すんなり受け入れられるものではないということでした。
 
分かったこと  その2

今年で10年目のゼロエミッションですが、その間、学校生活内容はずい分変わりました。
10年前は、学力低下を招いたと酷評された「ゆとり教育」の授業がありました。福祉施設での実態体験や、教育指導要領からはみ出た科学の探求など、単学科ではなく総合的に教科を捉えて学ぶ利点はたくさんあったと思うのですが、うまく生かし切れず、縮小されてしまいました。
また、児童を巻き込んだ凶悪犯罪が多発して以来、集団下校するようになったので、放課後の補習とか遊びとか先生とちょっと触れ合える「ゆとりタイム」が、ほとんどなくなってしまいました。
先生方の放課後は、学校全体での会議、学年会議、保護者との対応、学校行事対応準備と、枚挙すればキリがないほど。
なので、時間に追われておられる状況の下での市の特注・ゼロエミッションは、単に残飯処理としか思えない先生には、負担が増えたとしか思えないのでしょう。それでも諸々の思いを決してお口には出されず、協力して戴いてきました。
その努力が、回収事業が始まったことで、循環型社会の構築を実現した原動力=生きた社会学になって報われたと思い、事実を告げると、とても感慨深げな表情を浮かべられました。
子供たちにも、先輩たちもやってきた、そして今、日ごろあまり意識もせずに、クラス全員で協力してやっていることが、いい町づくりに繋がり地域を動かした。「今、すごい経験を学んでいる意義」をしっかり伝えています。

 
ゼロエミッションの真の姿

微生物を活用していることで「いのち」、給食の食べ残しを活用することで「食」、クラス皆で大変な作業をやりこなすことで「協働精神の大切さ」、道具を使いこなすことで「知恵の発見」等々。さらに、土作り実習後には、ごみ処理費用(税金)や、日本の置かれている食料事情(自給率)など、周辺の面白雑学も用意。最終的には何事も学ぶ楽しさや、目標に向かい努力していく大切さの発見に繋げるチャンスになるよう願いながら、つくづく「EMってスゴイな」と感じています。
 
家庭生ごみ回収事業への願い
回収実験事業に対する今の思いは、・子供たちの努力を、大人がどうか無為にしないでということ。・異物混入のない優良資源を排出し、・参加する仲間を増やして、・経費に見合う回収量の増加をはかり、・事業の拡大・継続に繋げてほしい。
先日、実験地区の協力者に会ったので感想を聞くと、臭いや虫の発生が全くないと喜んでいました。それ以上に貰った肥料がサラサラで、きれいなことにビックリしたと嬉しそうでした。自分の努力が形になって報われる喜びは、誰でも。
これからもぜひ頑張って、喜びの輪を広げて下さいと労いました。
と、本会の周辺では、堆肥化の動きがようやく軌道に乗りそうになってきたと喜んでいたところに、思わぬ伏兵が出現。大いに心を痛めています。それは 3.11。


私たちにとっての 3. 11

6月下旬の例年より早い梅雨明けに、暑い夏の予感はありましたが、連日32〜33℃という真夏日が続き、その陽ざしたるや射るような強さ…。究極のクールビズスタイルで対応しているものの、早くもバテ気味のわが身とは違い、畑の雑草だけはいつにも増してやたら元気。ふと3.11の大震災で引き起こされた大津波で塩害を受けた地を思いました。
 大きなエネルギーを得た海水は、まるで生き物のように軽々と堤防を乗り越えると、逃げ惑う人間を獲物を狙い追いかける野獣がごとく、先祖代々営々と作り上げてきた田畑を遡上していきました。
 その塩害を受けた土地に果たして?と、植物(雑草)の姿を求め食らいつくように見ているのですが、画面は一向に片付かない瓦礫の山のところばかりが強調されて、?きだされた土には緑があまり見あたりません。こちらの雑草と思い比べると、津波=塩害の恐ろしさと共に、農民の遣り切れなさもしのばれます。
         

本当に恐ろしいのは…

でも自然災害だけならば、何とかすれば終息方向へもっていけそうです。それよりも深刻なのが、放射能汚染。汚染干し草を食べた牛肉が全国に出回り、被害は一挙に拡散してしまいました。
 牛久市でも、校庭のあちこちを検出器で測定。草むらや落ち葉の数値が高かったので、即刻ごみに出したそうです。これで学校内の危険度は薄いだものの、ごみに出された先からの不安はどうなるのでしょう。放射能はコンクリートで固めて長いこと封印しておかないといけない厄介なもの。落ち葉や雑草は、堆肥化にとても大切な資源なだけに、今後のゼロエミッションをどう進めていくべきかをも含めて、暗澹たる気持ちです。

 
皆が早く元の生活に戻れますように

 
  奥野小学校でのジャガイモ掘り風景
夏休みに入る前日、奥野小学校ではジャガイモ掘りをしました。採れたジャガイモは、例年なら学校給食のメニューに組み込まれ、作った6年生がちょっといい顔が出来るのですが、今年は家に持ち帰って各家庭の判断でということに。
因みに収量ですが、種イモ1sに対し27.5s。昨年も3sに対し60sだったので、ほぼ同じ出来でした。粒ぞろいで肌艶共に良く、見るからに美味しそう。子どもたちにとっては、ゼロエミッション唯一のお楽しみ場面? なのに、喜びが半減して本当に本当に残念です。1日も早く、元の何でもない幸せな生活に戻れますようにと、祈るばかりです。