特集 自然農法とEM  
「えむえむ関東95号」より
=EMネット神奈川=
「有機のがっこう 土佐自然塾」の卒業生 神奈川県愛川町でデビュー
  NO-RA 〜農楽〜 千葉康伸さん

EMネット神奈川

 
 
 
 
 
2010年の秋、東京の日比谷公園で開催された「土と平和の祭典」。同公園小音楽堂では、「有機農業セミナー」と題して、NPO法人全国有機農業推進協議会金子美登理事長が講演し、若手農家 7人の新規就農パネルデスカッションが行われた。新規就農といっても農家の後継者が多い中、日比谷公園近くの高層ビルに3年前まで勤めていたという千葉康伸さんには注目が集まった。
千葉さんは、元システムエンジニアで 1977年生まれの 33歳。高知県にある「有機のがっこう土佐自然塾」の 3期生で、昨年 4月から神奈川県愛川町で 1.4haを耕すフレッシュな有機農家だ。安定した職を捨てなぜ斜陽産業といわれる農業に転じたのか、千葉さんは率直にこう語っている。

「農家になる前は、実はすぐそこに会社があるのですが、8年間サラリーマンをしていました。サラリーマン生活をするなかで、何か自分が都会で飼われているというか、毎日の通勤、その時間の無駄、いつのまにか年を取っていく、このまま定年を迎えて何もすることが無い、というような人生は嫌だなと思っていました。自分の楽しみは毎年妻と海外旅行に行くことで、アジアが好きで、良く東南アジアに行っていました。東南アジアで見る景色は、本当には見たことはないのですが、昔の日本のような景色が広がっていて、太陽が昇ったら農作業をする。そんな生き方が一番幸せではないかと思ったのが農業を志すきっかけです。じゃあ、何をしたら良いのだろうと調べ始めて、東京に住んでいた時に食べていた野菜が、美味しくないなと。それだったら、良いもので美味しいものが出せれば、これは勝負になるのではないかというビのネスの観点と自分がどうやって生きていくのか、この2つが一致した時に初めて、自分は農業で生きていけるのではないか。そして自信を持って出すのならば、有機でやりたいと思いました。

高知県の「有機のがっこう 土佐自然塾」に入るきっかけは、池袋のサンシャインで開かれた新・農業人フェアで、有機農家と県・NPOが共同してやっている学校というのは全国でそこだけと聞いたのが決め手となった。
学費はけっして安い金額ではなかったが、自分の目的のためにお金を支払うことは必要だと思ったという。「土佐自然塾」には懸命に勉強すれば1年の研修ですぐ自分で物が育てられるような環境があり、「最も欲しかった『手に職』というものを得ることができ、そのおかげで今の自分があると思っている」と話を続けた。

千葉さんの農園がある神奈川県愛川町は、人口43,000人o神奈川県中央北部に位置し、都心から50km、横浜から30km。丹沢の東端にあたる仏果山を最高峰とする山並みが連なり、相模川と中津川にはさまれた標高およそ100mの台地が広がっている。畜産、果樹、鑑賞花栽培が盛んな地域で、なかでも畜産の産出総額では神奈川県内で 1位となっている。
しかし、都市化の波は、農業人口や農地面積を急激に減少させ、さらに高齢化、農業後継者の不足などで耕作放棄地も目立つ。相模原市や厚木市などの一大消費地を控えており、都市型農業の可能性は高く新規就農者の受け入れも積極的に行われている。千葉さんは、神奈川に就農するに当たって、NPO法人EMネット神奈川にも相談し、三浦半島などの有機農家を訪ねているが、最終的にかながわ農業アカデミーの支援で愛川町に就農を決めた。愛川町に決めた理由は、広い農地を無料で借りられたこと。自然環境がよかったこと。愛川町農業委員会の事務局長との出会いなどをあげている。同時期に就農した農家は 5人だが、1年を待たずしてひとりが農業をやめ、3人が兼業農家となり、新規専業農家は千葉さんひとりとなった。愛川町には、ブドウやキウイを栽培するた有機農家の諏訪部明さんをはじめとする有機農業研究会があり、消費者が作る「安全な食を考える会」などがあるが有機農家の数は少ない。
千葉さん当時を振り返り、新規就農の難しさをこう語っている。

「新規就農者にはまず家が見つからないこと。農地はどうにか見はつかるのですが、家がなかなか見つからない。農家の家というのはもしかしたら息子が帰てくるかもしれなから空けておこうと思うのですね。それから初期の投資の金額ですね。トラクター・機械・資材・色々なものが必要です。そういったハードルが、すごく高いです。それ以外にも、農業資材の購入場所など、色々な情報を得るのに初めは時間が掛かって効率が悪く、肝心の作物があまり良採れていません。
ですが、色々な人に助けられて、販路を得て、今どうにか農業だけで生活できている状況です」。

千葉さんの農地は、6箇所と点在してはいるが車で10分で回れる位置にある。高知県の山下農園もいくつもの小さな畑の土の状況にあわせて作付けしているがその経験が生かされた。まず、それぞれの畑の土壌診断を行い、pH7 〜7.6の超アルカリ土壌の畑では、油粕、緑肥としてソルゴー、燕麦、ネマクリーン、クローバーなどを植えて、2ケ月後に刈り取って外に持ち出した。すると pH6.5まで下がった。 (一時的かもしれないが、現在も保っている。 ) pH7以下の畑では、地域から出る豚糞や鶏糞を投入したところ「ニオイがするから入れないでくれ」というクレームにあったため、肥料を入れずに作付けした。その結果、その畑の土がどれぐらい地力があるかが把握できたという。実際、長い間作物が植わっていなかった土地は痩せていてものができなかった。その中で味のよかったものだけを出荷。ジャガイモ,キャベツ、空芯菜、枝豆、トウモロコシ、トマト、キュウリ、ズッキーニ、ピーマン、カボチャ、生妻、カブ、大根、ミズナ、長ネギなど 40〜50種類を作付けし、適地適作を見つける一年だった。トマトの品種「アイコ」は高知県ではうまくできたが、愛川町ではうまくいかなかった。キュウリの自然農法種子「パテシラズ」は大収穫だった。「とにかく良いものを作って、そのあとに販路を考えろ。先に販路を考えて自分を小さくしていくよりは、まずは畑に出て、土と格闘して、自分に厳しくやっていくこと」という山下塾長の言葉に従ったのだという。実際、販路はなかった。しかし、意外な展開が千葉さんを待っていた。その話を千葉さんはこう語っている。

「ある有機農家さんから、小田原の蒲鉾屋さんがリサイクルする魚肥の話を聞きました。魚肥は結構速効性があって良い肥料です。無施肥で作付けする自分にとっては状況によって追肥が必要なので魚肥は欲しいなと思っていました。すると『この堆肥を使った野菜が帰ってくるという試みをしたいから、是非出来たらうちに野菜を出してください』という形で、逆に自分が仕事をもらいました。7月からできた野菜を毎週出荷しています。そんな巡り合せとか、人から声をかけられて『売って欲しい』とか。地主さんがゴルフ場の支配人をされていて『自分のゴルフ場のレストランで野菜を使いたいから一回持って来てくれ』とか『売店に置きたい』とか、、『値段は君が決めて良いからマージンだけは貰うよ』って。そういう、周りに自分は支えられています。今の自分はとにかく良いものをたくさん作っていく。金子美登さんが仰ったように、コツコツと良いものを作っていけば、周りが評価してくれるというのは、まさに自分が実感していることです。それと私はとても運が良いと思います」。

千葉さんが、蒲鉾ができた後に廃棄される魚の骨や皮を堆肥にした魚肥、その名も海と大地をつなぐ「うみからだいち」を使った野菜を出荷しているのは、小田原市風祭にある蒲鉾メーカー「鈴廣」が経営するレスト
ラン「えれんなごっそ」だ。「鈴廣」では、ここ数年、水産業と農業を関連づけた産業モデルを構築して自然の循環の再生を行う魚肥の開発とそれを使用してくれる農家探しを行っていた。魚肥は完成したが、農家がなかなか見つからなかった。しかし、世の中が有機農業ブームになるにつれて、農家の反応は少しずつ変わり、魚肥を試しに使ってくれる農家が現れた。千葉さんもそのひとりで、ことに千葉さんのニンジンは、レストランに併設する売店で「あのニンジンを買いたい」というリクエストがくるはどの人気だ。
現在、千葉さんの野菜は、10品目3,000円で個人への宅配のはか、ヨークマート田名店、大相模カントリークラブのレストランや売店で販売されている。

「就農して、今一番良かったなと思っていることは、自分は自分の足で生きているなと感じること。サラリーマンの時はどうしても人の力で生きているような、何で自分の仕事がお金になっているのか分からないような感覚があったんですけれども。今は自分で育てたものがお金に代わって、それを他人の人が食べた見返りでお金を頂いている。それで自分が生活していける。『あっ,生きているのだな』という実感を今すごく持っています。自然の中で土の上に足を置いて手や機械で作業をしてやっていると、1日1日がとても有意義な気持ちです」。
「最後に今就農したいと思っている方に伝えたいことは、『とにかくまず、自分が出来ることを行動して下さい』ということです。自分は、ずっと適当に人生を歩んでいました。中・高・大は親に与えられた私立のエスカレーターに乗り、就職活動も大してしないで適当に会社に入って 8年間。これまで自分で何かを選択せず、自分で切り開くものも何もありませんでした。農業は初めて自分がやりたいと思ったもの。それを見つけたこと、そして行動したこと。良かったなと、今は思っています。行動していくと、自分が何もしなくても周りが何かしてくれたり、知らないうちに仲間が沢山できたり、もうすごく良いことづくめで。とにかく行動することが一番だと、色々悩んだときは行動すること、若輩者ですけれどそう思います」。
舞台から降りた千葉さんに何人かの若者が「自分も農業をやりたいと思っているが、やれなかったとしても今日の話に勇気をもらった」と話しかけていた。若者だけではなく、会場の多くの人にとっても同じ思いだったようだ。

千葉さんと共に高知県の山下農園の研修生として農業技術を身に着けたパートナーの香恵さん、そして 6ケ月になる長男の3人家族。今年からは、子どもを保育園に預け、夫婦ふたりで農業を営む。そんな千葉さんの希望は 2つ。一つ目は、この 1年間 1日も休まず、必死で働いてきたが、これからは子どものためにも月 2日ぐらいは休むこと。二つ目は、援農ではなく、本気で農業をする仲間が欲しい。誰かと相談しながら助け合って人に喜ばれる農業をすること。ひとりでは農業はできない。
まったく農業を知らない若者に有機農業の技術という手に職と志をもたせた「有機のがっこう土佐自然塾」は、この千葉さんはじめ、すでに 30人以上の有機農家を誕生させている。持続可能な農業とは、農業とりわけ小規模な有機農業を志す彼ら家族が幸福に暮らすことだ。そして、それは彼らが作る健康な野菜を食べる私たちの幸福に通じること。そのことに集中した農政であって欲しいものだ。