農業の醍醐味.26回


はじめに
今号では、長野県の高原野菜の生産地南相木村、目前に八ケ岳、右手に蓼科山が望める標高1000mにある細井千重子さんの自給菜園を4月21日訪問した。梅、桜、ユキヤナギ、レンギョウなどが咲きいっせいに春を告げていた。財団法人自然農法国際研究開発センターが、この度賛助会員の募集をすることになったので機関誌「自然農法」のリニューアルに際して細井さんに記事の連載をお願いするために訪問した。
 本誌の最近の号では地域社会作りについて報告をしてきたが、これから少し家庭菜園について取り上げさせて頂きたいと思っている。なぜなら、家庭菜園は地域社会作りの一つの入り口となるからである。
 前号で最後に少しふれた宮崎村では、家庭菜園で育てたピーマン、スイカ等を町の野菜直売場に出したところおいしさが評判となり、農家でもEMを活用した自然農法のピーマン、スイカ等を栽培して市場に出荷した。そのピーマン、スイカの味や品質の良さから評判となりお客さんがついて、今ではピーマン、スイカ、菊が宮崎村の特産品となっているという。学校給食への自然農法農産品の取り入れ等、家庭菜園が村の活性化の原動力になっている。
 日本では、家庭菜園は最近定着してきているが、ヨーロッパの家庭菜園の取り組みには伝統がある。特にドイツのクラインガルデンは有名である。
 今日本では、食料の自給率がエネルギーベースで約40%と言われている。このことは国家的な問題になっている。しかし、ドイツのクラインガルデンから生産される農産物は、食料自給率の三分の一を越えているという。勿論ドイツは食料自給率は100%越えているが、ここに大きな意味が隠されていると思う。
 農業の近代化は、機械化であり、農業を市場経済の中で捕らえることであった。勢い、農業も経済最優先となり、自然や命の大切さ、環境、健康問題は二の次にされていった。しかし、クラインガルデンは、農業の近代化に丸ごと巻き込まれることはなかった。農業の伝統を守り、経済性よりも自然や命、環境や健康を大切にしてきた。ここにクラインガルデンの果たしてきた役割は大きなものが有ると思う。
 私たちは、家庭菜園の取り組みから、農業の近代化で否定された。かって行われていた資源循環型農業、自然や命、環境、健康を大切にし、日本の文化を生み出してきた農業をベースにした、そうした行き方、考え方を取り戻さなくてはならない。叉、新しく創造していくことが出来ればと思う。このように、家庭菜園への取り組みは、地域の人々の心を結び、生き生きとした生き方を生み出して行く原点ともなる。叉、生命を基にし、環境や健康を最優先する資源循環型社会創造への出発点となるものと思う。細井さんの自給菜園は将に、その証とも言うような取り組みであった。

細井さんの自給菜園での取り組み
 細井さんの自給菜園は、自宅の前に3a(90坪)借地で4a(120坪)計7aと、ジャガイモ、タマネギ、ナガイモ等収穫が一時に出来る別畑とがある。それに、菜園は畑だけでなく、タンポポ、月見草、ヨモギが生えている土手も、香りの優しい野菊が咲いている原っぱも、木イチゴ、ワラビの採れる山裾もみんな大切な無限の自給菜園であるという。
 菜園での野菜は100種類を越え、ただその野菜を料理するだけでなく、お茶に、ジャムに、化粧水に、浴剤に、薬になって暮らしをささえ潤いを与えてくれているという。厳寒の冬でも黄緑色野菜が食卓に
 素晴らしいと思うことは、マイナス20℃になる冬でも一年中新鮮な黄緑色野菜を自給しているということである。細井さんは農文協から出版している「寒地の自給菜園12ケ月」の中で次のように言っている。「菜園の冬菜やホウレン草は、朝はコチコチに凍っていてさわるとポッキリくじけてしまうのに日中、日が出て凍みが溶けると、有機質によって丈夫な根っこが張り、寒さに鍛えられた野菜たちは背筋を伸ばしシャキッとしてきます。過保護に育てられた野菜たちはグニャッとして凍み枯れてしまうのに・・・」
 環境に適応する種取りを始め、自然から学びながら、失敗を繰り返し11年かけて冬でも露地、無加温のハウスを含めて10種類の野菜が育つようになったという。
 次のようにも言っている。「この厳しい自然条件の中で、だまって行き抜く野菜や野草たちに、生きていく心がどれほど癒されたことでしょう。私が野菜を育ててきたというより耕す暮らしの中で野草や野菜、ウサギやニワトリたちが私を勇気づけ育ててくれた。」

自給菜園の楽しみ
 自給菜園では、旬の野菜が沢山収穫できる。それを上手に食べたり、保存したり、加工して作物を生かしていく、それが自給菜園の大きな楽しみだという。
 このことについては次のように言っている。「百品作ると百通り以上の保存・加工方法があります。私は「旬の百品をつくる」ことも、「百品を加工保存する」ことも、さまざまな「暮らしの知恵」も、村にずっと生き続けてきた「農の文化」だと思います。」
 細井さんは姑さんを早くに亡くしてしまったが、祖母、母や多くの人々から教えられた技や知恵をノートにまとめ宝物にしているという。

細井さんの生き方・考え方
 引用が長くなってしまうが、細井さんの考え方、生き方が分かるのでもう少し引用させて頂きたい。「加工し保存することは冷蔵庫、冷凍庫のなかった時代の、昔の人の知恵が詰まっていて学ぶことが多くあります。便利になるにしたがってその知恵が失われて、旬を食べることさえ忘れかけている現代の文化とは何なのかと考えてしまいます。」「本当の豊かさが問われている時代のなかで、祖父母たちの生き方はお金こそなかったけれど、ゆったり時が流れ、自然の中で思う存分飛び回っていました。食卓にはそこでとれたものがあり、人と自然と、人と人とがともに支え合って生きていて、今よりずっと人間らしい暮らしだったと思うのです。」「私は毎年平凡に堆肥を積み、耕し、種をまき、育てる日々を繰り返してきました。その繰り返しの中で、自然によって生かされている人間だけでない、たくさんのいのちが見えてきました。いのちの重さが見えてきました。自然と人間とが、そしてさまざまな違いのある人と人とが、共に生きることの意味を教わって来ました。自分が耕し育てていたつもりが、耕され育てられてきたことを知りました。」「私は祖父母たちがやってきたことを大切にして、もう一度人間の生きる原点の土に立ち返って、足を知る当たり前の暮らしを大切にして耕していきたいと思います。」
 人は自分だけで生きているのでなく、土や水や太陽、動植物というすべてのものに支えられて生きていると言うことを体で感じてきたように思う。また、そのことを孫たちに楽しく作り食べながら伝えていきたいと言っていた。将に、命あるものが命あるものに支えられているという事実と向かい合っている。
 細井さんは、自ら自給菜園を耕し、地産地消による自給運動を30年続けてきたという。当初は見向きもされず、むしろ変わり者扱いされた運動も、今は南相木村始め近隣の町村での楽しい共同作業による加工・保存の活動や、講演、執筆の依頼が多く、多忙な日々を送っているという。
 細井さんが何度も口にされたことは、自給菜園を中心にした生活が当たり前の生活であり、足を知る生活である。私は昔も今も変わらず当たり前の生活をしているだけであると言っていた。
 人の生きる原点の一つは食である。その食を経済第一にした商業主義にゆだねてしまい、30兆円を越す世界に類例のない医療費を国家予算としている現状。先人が営々として築いてきた文化を忘れ、収益性、利便性ばかりを追い続け、行く先を見出せないでいる現代社会を痛烈に批判されているように思えた。
 細井さんの自給菜園への訪問をすることによって、家庭菜園への取り組みは、生きることの原点である食を、自らの手で確保して行く第一歩であると思った。そして、その実践が心豊かな地域社会を築いてゆく出発点の一つになるのだと意を強くした。

もてなし頂いて
 訪問したら、まず、昨年塩漬けにした桜茶と小梅の焼酎漬けを頂いた。話が進んだところで半分がヨモギという香り豊かな草餅を頂き、葉もののエゴマ和え、いろんな野菜でゴムまりのようにふくらんだ郷土食の「おやき」を二つ、最後にブルーベリージャムのたっぷり載ったヨーグルトを頂いた。お茶はハーブテイーであった。手作りの柿も出たがお腹がいっぱいで食べられなかった。昼食を控えめにして訪問させていただけば良かったと思った。どなたが訪問してもいつももてなしの用意は出来ているという。心を使い、少し体を使うと、自然はこんなに豊かなのだと実感した。お孫さんはおばあちゃんは魔法使いだと言うという。身の回りから本当に美味しい豊かな食べ物を作り出してしまう。


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